住職法話

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2023.08.14 お盆法話
「川の流れのように」/美空ひばりさんを偲び

彼岸法話
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今年はお正月の時に個人的に思い出深い曲として坂本九さんの「上を向いて歩こう」を取り上げました。実はその時からどこかでもう一つ私が好きな曲である美空ひばりさんの「川の流れのように」を取り上げたいという想いがありました。恐らく皆様も好きであろうこの曲や美空ひばりさん自身に対する印象は世代によって大分違うのではないかと思います。私みたいに昭和の終わりの方に生まれた人間ですとまだ小さい頃の曲なのでそこまで発売当時はわかっていなかったのですが、昭和歌謡や歌い継ぎたい曲としてテレビで紹介されたときに良い曲だなと思って好きになった形だと思います。

私よりもう少し上の世代の方ですと昭和を代表する歌手である美空ひばりさんが平成元年に発売し、新しい時代になって最後に遺した曲ということで感慨深い方もいるのではないでしょうか。そして更に上の世代、戦中戦後をしっている世代からすると幼い美空ひばりさんが戦後の混乱期にその悲しさを歌った「悲しき口笛」で人気に火が付き、映画や舞台で大きく活躍し、戦後日本の象徴として「共に歩んできた」という想いが強いのではないでしょうか。52歳でお亡くなりになったのですが8歳からと活躍が早かった為、長きに渡り活躍をしてきた方だと思います。そして長く活躍した分、色々なことがあった方だと思います。ご存じの方も多いでしょうが少し振り返っていきたいと思います。

美空ひばりさんは神奈川県に加藤家の娘として生まれ、幼いころから歌が得意でデビュー前から父が戦争で出兵する際には歌を送り、それが評判を呼んで戦中も慰問活動をされていたそうです。その後自身も度重なる空襲などを生き抜き、終戦を迎えます。そして皆が娯楽に飢えていたこともあり、戦後一か月後にはすでに町内でバンドを組み、その翌年には8歳で杉田劇場に立ったということですからその情熱は素晴らしいです。ただ、その後すんなり活躍するという形にはいかず、幼い子供という目で見られてしまい、マスコミやお父さんの反対などもあって足踏みする時期もあったといいます。それでもお母さんと一緒になってその才能を認めたプロデューサーや雑誌『平凡』(現在:株式会社マガジンハウス)などの力も借りながら徐々に活躍の場を増やしていきます。そして同じような年代でデビューした江利チエミさんや雪村いづみさんと雑誌『平凡』の企画を通じて知り合い、三人娘として映画に共演したり、友人として付き合ったりと公私にわたり、交流を重ねたそうです。映画やステージにと活躍する中でまだ本土に復帰していない沖縄で公演を行い、別の活動の際にはファンから塩酸をかけられてしまうなど様々な体験をしたそうです。その後、俳優・歌手の小林旭さんと結婚。しかし、2年弱ほどで離婚し、借金も背負いました。しかしそれでも東京オリンピックの際には「柔」という曲がヒットし、他にも「真赤な太陽」などいくつもの名曲を出していきます。ただ、オリンピックの際にテレビが普及したことで今まで活動の中心であったステージや映画の製作数が減っていきます。

さらに暴力団全国一斉取締り作戦が始まります。ひばりさんは戦後の混乱期の中、デビュー当時から神戸芸能社(山口組)の後援を受けていました。一部地域では興行権を独占していたり、ボディーガードも兼ねていたので当時は必要だったのでしょう。しかし、時代の流れや弟さんが不祥事を起こしたことで公共施設や紅白歌合戦への出演ができなくなるなど締め出されてしまいます。それからは数々のバッシングを受ける苦難の時期が続きますが、広島平和音楽祭で歌った「一本の鉛筆」や歌と芝居を行う舞台での活動を続け、弟の子供を一人養子に迎え母親としても日々を過ごしていきます。そして44歳の時にずっと一緒に芸能活動をやってきた母:喜美枝さんが亡くなり、相次いで友人の江利チエミさんや弟2人を含めた親しい方が亡くなります。そういった悲しい時期を乗り越えた先に、元々は味の素のCMとして名曲「愛燦燦」に出会い久しぶりに大ヒットします。ただ、この時49歳で徐々に体調を崩していたといわれ百日間ほど入院をしています。

退院後も「みだれ髪」などのヒットに恵まれますが、やはり病を押しての公演だったそうです。そして51歳の時に、今でも活躍している秋元康さんらと組んで「不死鳥パート2」というアルバムで10曲ほどの曲を作ります。その中の一つが「川の流れのように」です。この曲には逸話があります。元々は新しい世代に向けてというテーマで作られたアルバムで、その中からシングルとして発売されるのは「ハハハ」というポップス調のものでした。それに向けて宣伝や制作も動き始めていたそうです。しかし、ひばりさんもこの時はどうしても「川の流れのように」を発売したいと自分の意思を貫いたそうです。その想いの深さを表すエピソードの一つとして、曲のデモテープを聞いたときに息子さんにこんな言葉を口にされていたそうです。「まるで、私の人生そのものを歌わせてもらえるような楽曲ね」と。この曲を歌うとき、ひばりさんは万感の思いや魂を込めて歌っていたのでしょう。この発売の半年後、ひばりさんは亡くなります。

 なぜここまで美空ひばりさんを紹介したかというと簡易的ですがどんな背景や想いがあったのかを振り返る為とひばりさんが仏教の、日蓮宗の信者だからです。実家の加藤家のお墓は横浜の日野公園墓地にあります。その近くにあるお寺が加藤家の菩提寺である唱導寺です。そしてひばりさんは良くご両親の供養をしたそうです。それは仏教を信じ家族らのご冥福を願っていたからでしょう。仏教は年や苦労を重ねる程、共感できることが多くなる教えだと個人的には思っています。ひばりさんが自身の人生を重ねた「川の流れのように」も仏教で説かれる人生観(生きる難しさや変わりゆく無常観など)に通じる歌詞でした。

今、統一教会問題や宗教離れということで仏教は軽視、ひどい時には問題視されます。しかしその内容、本当はどうなんでしょうか。価値の無い内容だとしたらお釈迦様以来、数千年語り継がれ、美空ひばりさんなどの人物が信じることなど無いと思っています。  お盆という時期にもう一度皆様が供養や仏教に向き合うきっかけにして下さればという想いで今回はこの話をしました。ぜひ「川の流れのように」やお経を聞くときに前述の内容を意識してみてください。込められているものを理解すると聞こえ方が変わるかもしれません。



2023.06.04 鬼子母神大祭法話
「祈ってください」とChatGPTにお願いしてみた

彼岸法話
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今話題になっている対話型AI「ChatGPT」。問いかけに対して意味合いを理解し、適切な返答をくれるAIだというので元プログラマーの私にはとても興味を惹かれる存在でした。その為、今回はこのChatGPTに「仏教者として祈ってください」という一文でお願いしてみました。その結果が下記です。

ChatGPT:「私はAIであり、物理的な存在ではないため、直接的な祈りを行うことはできません。しかしながら、あなたの願いや祈りに対して共感し、サポートすることはできます。あなたが祈りを捧げる際には、心を静め、深い呼吸を行い、内なる静寂に入ることが重要です。その状態で、自分自身や他者、世界の平和や幸福を願う言葉やフレーズを思い浮かべながら、心の中で祈りを捧げてください。また、仏教の教えに基づいて祈りを行う際には、以下のようなフレーズや言葉を使用することが一般的です。

南無釈迦牟尼仏・南無阿弥陀仏・南無観世音菩薩・南無大師遍照金剛・南無日蓮大聖人
これらのフレーズは、仏教の守護者や教えに対する敬意を表し、加護や救済を求めるためのものです。心を込めてこれらの言葉を唱えることで、あなたの祈りがより深くなり、内なる平和や悟りへの道を歩むことができるかもしれません。あなたの祈りが叶うことを心から願っています。」お祈りの言葉に「南無妙法蓮華経」が入ってなかったことは残念ですが、なぜか「南無日蓮大聖人」が入ってましたね。私が投げかけた簡単な一文に対して上記のような立派な答えが返ってくる、世の中は本当に進んだなと感心しました。

このChatGPT、今後はより日本語を学習させ政府答弁を含めて幅広い分野での活用が検討されています。そうなれば人材不足で悩む日本社会に対して救世主となるのではないかと期待をされています。そして一方では、様々な職業が影響を受けて失業者が増えるのではないかと懸念されています。私見ではありますが、間違いなくAIは今後の社会を変えていく大きな力になると思います。部分的な人手不足解消と一時的な失業者増加も日本では現実のものとなるでしょう。では、AIを禁止すれば良いのかというとそれも難しい話です。アメリカや中国などは決してAIの開発をやめないでしょうし、便利なものがあると分かれば誰だってそれを利用します。仏教的にも全ての物は変わりゆくという諸行無常という思想があるように今からAIの無い世界に逆行することはできないので開発は推進しながら、詐欺などに使われないように不正使用の制限をかけていくなどの対応していかねばならないと思います。

ではAIは人の仕事全てを代替し、人の役割は無くなるのでしょうか。そんなことはないと思っています。例えば私はChatGPTに対して法話も頼んでみました。しかし回答はあくまで仏教の言葉や概念の紹介だけになってしまって、今回のように時事問題や自分の想いと絡めて、皆様に伝えるというところまではいかないのです。ただ、私の話や仏教で分からない言葉や表現を調べるときに楽になったり、AIから引用などされることでより多くの方が仏教に触れるきっかけになるかもしれません。私は人にしかできないことがあると思っています。それはありきたりですが「心をもつ」ことです。現状のAIに心が宿ることはありません。なぜならいかに思考して巧みな返答をしてくれても「思考」自体は心の片鱗、一部でしかありません。

 誤解を恐れず、略してしまうと仏教では「心=心身を含めた総合的な生きる営み」だと説かれています。そしてその中では身体の感覚や欲望などもそうですし、自身の経験や認識なども関連します。例えば「桜を見た」と文章で書くとそれだけで終わってしまいますが、我々が実際に桜を見た際には各々感じ方や表現の仕方が違うはずです。「この桜は以前に見た○○の桜に似ているな」や「お花見してお酒を飲みたいな」と思う方もいるでしょう。海外の方が見ればそこまで想い入れは無く「綺麗な花ですね」と思うかもしれません。そういった感覚や認識、経験など全てを総合して心が形成されています。それらをAIが持てるかと言われると現時点では難しいでしょう。感覚や欲望をつかさどる「身体」を持っていないですし、体験の全てを余すことなく言語化してAIに学習はさせられないからです。

 更にAIはいくら進歩してもプログラムやネットなどで学習したデータ、「在るもの」を元に回答するだけです。人のように「無いもの」まで「想像」してしまう、ということはないのです。例えば「期待・不安・後悔」というのは心がなければ覚えません。それは「無いもの」を想像して心が揺れ動く、人独特の感覚です。「在るもの」からプログラムされた判断基準に則り、最良を選択するAIには持てない感覚です。  そして期待や不安、後悔などが無いからこそ悩みや苦しみとも無縁です。だからこそ、いくらAIが「共感します・心から願っています」といっても、そこに不安に怯える体験や悩み苦しみから抜け出したいという想いがないAIの言葉は、理解はできますが人との共感は覚えられず、心に響き辛いと思っています。今後、定型文や法律に則ったビジネスはAIが非常に活躍する一方で、人同士の交流など共感が持てる「心」の通った言葉や行い、人と直接対面することの大切さなども見直されていくと思います。お寺としても「祈り」や「供養」などがそういった「心」の通った行いだと気づいて頂ければ、これからも皆様に続けて頂けるのではないかと思っています。そうなるように今回の法話も含めて皆様へのお声がけをしていきたいと思っています。




2023.03.21 彼岸法話
禅定 心の安定

彼岸法話
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お正月に「心を前に動かす」ということで少し似たような話をさせて頂いたばかりなのですが、元々お彼岸は仏道修行の期間ということもあり、毎年仏道修行の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)に関する話を順番にさせて頂いていました。昨年はロシア侵攻があり、急遽戦争の話に切り替えてしまったので、恐らく忘れてしまった方も多いと思いますが今回は「禅定(ぜんじょう)」の話になります。この禅定は「禅」も「定」もどちらも「心をしずめて一つにすること」という意味で集中や安定した境地を示します。その為、この「禅定」の反意語は「散乱」だと言われています。この「禅定」の境地に至る為の手段として仏教ですと瞑想や座禅が一番イメージしやすいと思います。内面と向き合うための良い方法だと国内外問わず注目されているとても素晴らしいものです。例えば瞑想から宗教色を排除した「マインドフルネス」というものがあるのですが、この一番簡単なものは「姿勢を正す」⇒「呼吸を意識する」⇒「雑念が浮かんでも呼吸に意識を戻す」といったもので、ストレス軽減などの効果が医学的にも認められて厚生労働省でも取り上げられている程です。宗教の瞑想や座禅としては更に「観心」などを説明するのが正しいのでしょうが、私としてはいきなりその説明をしてもちょっと皆様の日常からは離れすぎているかなと思っています。その為、今回は皆様が行っている日常的な仕事を例に話をしていきたいと思います。

 皆様は「マルチタスク」という言葉を使ったことや心がけたりしたことがあるでしょうか。直訳すると「複数の作業」、つまり複数の仕事を同時並行でこなすことを意味します。一見すると素晴らしい能力のように聞こえますが、私はどうもこれが苦手でした。私の要領が悪い、というのもあるのですが複数のことを同時にやろうとしても混乱してしまって効率が落ちているように感じられたのです。そういった疑問に答えてくれたのが一冊の本でした。『SINGLE TASK 一点集中術(デボラ・ザック (著), 栗木 さつき (翻訳))』という本です。ここではマルチタスクというのはあくまでシングルタスク(一個の作業)の連続や切り替えであり、本当に複数の作業を同時にしているのではないと書かれています。  

例えば皆様はお金や物を数えている時に途中で人から声をかけられて数が分からなくなった経験はありませんか。車などの運転中、何かに気を取られて前方不注意でぶつかりそうになったことはありませんか。人間の脳や神経というものはそもそも同時に複数のことができるようにはできていないそうです。できるのは別の機能を使っている場合、例えば歩きながら音楽を聴くことはできると思います。これは歩くのに主に使用される「視覚」と音楽を聴く「聴覚」が別の機能で更に音楽を聴くだけなら「考える」必要はないからです。ただ、視覚で算数の勉強をしながら聴覚で英語のリスニング問題を考える、といった両方に「考える」必要がある場合は混乱が生じるそうです。

その為、本来の脳や神経の作り通り、数学は数学、英語は英語として「一つのことに集中」した方が深く考えられるし、効率的だと言われています。「考えることがいくつもある」と「混乱し効率が落ちる」、前述した「禅定」と「散乱」に少し似ていると思いませんか。  日常生活や心の部分でも私は同じだと思っています。物事や情報などが自分の周囲に「複数同時にある」、「散乱」していた場合、それらに惑わされて「心が乱れて」しまい、集中や安定、幸福感などが減るのだと思います。  

例えば今も昔もよく言われますが、休日に仕事を持ち込む方はストレスが大きく、幸福を感じにくいと言われます。確かに休日でもやりのこした仕事や次の仕事の事ばかり考えてしまっては心が休まりません。また、よく若い方に言われるスマホ依存はどんな時でもスマホを通じてSNSやニュース、ゲームなど様々な情報やアプリが気になってしまう状態です。その結果、睡眠や勉強時間などが減り、生活の質が落ちると言われています。どちらもうまく切り替えや整理ができない事例ですが、皆様にも似たようなことはあったと思います。自分の周囲が散乱している状態というのは心を不安にするのです。だからこそ、大切なのは「禅定」、「一つの事への集中」なのだと思います。いくつもの作業や仕事をこなさなくてはいけない状況、社会ではよくあるでしょう。しかし、それでも10個の作業を抱えたのであれば10個同時に行うのではなく、優先順位を付けながらなるべく同時進行の数を減らし、特に考えるものの数を減らすべきです。  

例えば運転です。運転は必ず周辺確認や車の操作など複数の作業が必要だと言われています。初心者の頃、「ハンドル、どっちに切ったら右に行くんだっけ?」や「バックをするときはどのレバーを切り替えれば良いのだっけ?」と悩みながら操作してた時、皆様も運転が不安だった記憶はありませんか。あの頃は周辺確認、運転操作、どれも考えながらで混乱していたからこそ運転がうまくいかなかったのだと思います。それが徐々に乗り慣れていくことで車の操作に関しては余り考えず自然と行っていくようになり、周辺確認を中心に考えて安心安全に運転できるようになっていくのだと思います。  

仏教でも、最初に触れた「観心」ということが大切だと言われています。これは自分の心をよく観察し対話していくことだと言われています。あなたの心は今安定していますか、乱れていますか。乱れているようなら何か自分の周囲の環境に物事や情報などが「散乱」していませんか。もしくは自分の中に悩みや疑念、不安、怒りなどが渦巻いて常に複数の考えることがあり、頭や心の中が「散乱」していませんか。そうした状況を整理し、心を安定させるためにも自分自身を見つめる「観心」というのは大切なのだと思います。前回お伝えした「心を前に動かす」ということも一言でまとめれば心と体を何かに集中させることで不安や悩みから「切り替える」というお話でした。それは禅定におけるひとつの過程や手段だと思っています。どうぞこの仏道精進の期間であるお彼岸期間、「観心」しながら「散乱」を整理し「心の安定」を目指してみてはいかがでしょうか。



2023.01.01 新年
新年を迎えるにあたり 心を前に動かす

瑞法光寺 安倍晋三
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旧年中、皆様に支えられながら何とか新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願い致します。一年を振り返ってみますとなかなか激動の一年だったように思います。年の初めからコロナが猛威を振るってましたし、北京オリンピックもありました。そのオリンピックの終了後、数日のうちにロシアのウクライナ進行が始まり、円安やインフレが起き始めました。夏には安倍元総理が銃撃され、国葬が随分と論議を呼びました。統一教会問題や経済問題などで混乱も生じ、国内外で現在も様々な問題が起きていると思います。そんな難しい時期ですが、やはり年が明けると不思議なもので「おめでとうございます」と言いたくなります。年初めは「切り替わった」「新しいことが起こりそう」という意識が強く持てる為、切り替え時としても重要だと思っています。

この数年間流行ってきたコロナ対応もそろそろどこかで切り替えたいというのは今の世の流れになってきています。政府は今までコロナの分類を特別なものとしてきましたが、インフルエンザなどと同じ5類相当に落とすかを本格的に検討しています。民間でもイベントなどが再開をしています。以前と全く同じようにとはいきませんが感染に気を付けつつなるべく活動する、今年はそんな年になりそうですね。そしてその時に、皆様は自然と「心」を切り替えていけそうでしょうか。学校や会社、サークルなどに通い、周囲の人々にあわせて変えるという方は自然と切り替えられると思います。問題はそういった切り替えの機会をなかなか掴めない方です。やはりコロナが流行り始めて3年は長かったように思います。どうしても心が切り替えれない、なかなか前を向けない、気分が沈んでしまうという声も聞きます。そんな方に向けて、今回は仏教的ではないかもしれませんが、私の体験談を通じて「心を前に動かす」ための話をしていきたいと思います。まず考えるのは「心」が前に動かすには何が必要かということです。

 本来仏教ではこういったときに内面、要は自身の心をよく観察し、向き合うことを推奨しています。次回のお彼岸で丁度「禅定」(心の安定)の話をする予定なのでそれはその時に書かせて頂きますが、内面と向き合うだけでは足りないという状況もあります。それは「心」だけでなく、病気やケガなどで「体(身)」にも何らかの不調を負っている場合です。その際は私は「心」だけでなく「心身」両面でそれぞれ対策が必要だと思っています。お札にもよく書きますが人間の心身は密接に繋がっています。例えば皆様も病院に入院したことはないでしょうか。そして入院した時に暗い気持ち、不安な気持ちになったことはないでしょうか。私は実際にそうやって気分が落ち込んだことがあります。そしてその時、内面だけで自分の心と向き合おうとしても体の方から痛みや不調がどんどんと出てくるので、良くない考えばかりが浮かんできてなかなか良い方向にいきませんでした。勿論、私が仏教者として非常に未熟で仏様方の境地には遠く及ばないという前提はあるのですが、なかなか難しいこの世の中、同じように内面だけで解決できない方もいるかと思ったので今回は私が入院した際の体験談をする形にしました。

私の場合は一か月程の入院でしたが、やはりあの一面真っ白で薬品の匂いがあふれている病室で動けず寝たきりになっていると心も落ち込んでいくものです。そんな私が入院時に「心」を前に向けられたのは「心身」両面で気づきや変化があった為です。私がこの入院をしたのはまだ20代半ばの頃、一度目の日蓮宗大荒行堂(100日間修行)の最中に体調を崩した時でした。途中で修行を断念し、入院したのですが内臓を痛めて内出血もあった為、食事は満足に取れず、体は思うように動きませんでした。40日ほどの修行でしたが入院があともう少し遅かったら命が危なかったと言われたことを覚えています。そんな私が元気を取り戻したのはまず食事でした。修行中は冷めた薄い白粥だけという形なので久しぶりに少しでも温かいものが食べられるということはとてもうれしい事でした。また、リハビリにも励みました。筋力低下や重度の貧血で最初は立ち上がるのにも苦労しました。それでも歩行器を使い歩き始め、テレビのある待合室に行ったり、自販機などがある売店までいけるようになり体が少しずつ動かせるというのはリハビリの原動力になりました。そして少し「非日常」な体験もしました。

丁度、12月中旬に入院したので一週間ほどした時に病院でのクリスマス会がありました。その時に病院に5人ほどの方がバンドを組んで音楽演奏をしにきてくれたのです。入院してから数日は余り意識がなく、食事を少し取れるようになりようやく起き上がれるかなという状態だったので車いすを押して貰いながら参加しました。何曲か演奏がありましたが、最後に坂本九さんの「上を向いて歩こう」が演奏されました。これを聞いた時、修行場からずっと張りつめていた気持ちがふと解放されたような、生きていることをようやっと実感できたような不思議な気分になったことを覚えています。余りに感動したので車いすを押してくれていた看護師さんに無理を言ってそのバンドの方に演奏終了後に御礼を言いに行ったほどです。今思えばあの体験を境に少しずつふわふわと現実感がなかった意識がしっかりと現実に戻り、食事やリハビリなどにも心落ち着けて取り組めたのかなと思います。この体験談で言いたかったことは、皆様もコロナや病気で心が落ち込んでいるようならひとまず「何か」をしてみましょう、ということです。

例えば物を食べられるなら美味しい物を食べてみましょう。体が動くようなら歩いてみましょう。勿論皆様状況がそれぞれ違うのでそれ以外でも構わないです。無意識や義務的に行うのではなく、「何かをしたい」という自分の意思で体を動かすことで少しずつ心も動くはずです。それでも心が動かない、前に進まないのであれば「非日常」の体験をしてみましょう。私と同じように音楽を聴いてみるのも良いでしょうし、映画や本も良いかもしれません。家族や周囲の人に相談してみるのも良いでしょう。また、このお正月に行われている新年祈願会だってそうです。そういった普段しないような「体験」をすることで心が大きく動くかもしれません。心を前向きにするならば心を動かす必要があります。心が何かを「感」じて「動」く、それは一般的な言葉で言えば「感」「動」するということだと思います。ぜひ、心が動かない、切り替えられないという方は何かを体験し、今年は「感動」して心を動かしてみてはどうでしょうか。年の初め、皆様のご多幸をお祈りさせて頂きます。


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