住職法話

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2024.01.01 新年
コロナ後の新年を迎える―少欲知足

瑞法光寺 住職法話
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旧年中、コロナや戦争、物価高など色々とありましたが皆様と共に新しい年を迎えることができました。思えばコロナが五類に下がり、コロナが明けたと言われてから初めて迎えるお正月です。皆様も家族で集まるなどイベントごとが増えてきたのではないでしょうか。そういった時期の話として明るい話題か暗い話題かは悩んだのですが、今回はコロナという暗い時期をあえて振り返りたいと思います。ずっとこの話をしたいなと思っていたのですが五類に下がったばかりの昨年の五月頃はまだ皆様困惑して実感が持てず、余り心が落ち着かなかったように思います。それから半年、ようやく心が落ち着き、旧年を振り返り新しい年を迎えるこのお正月でぜひ振り返るべきだと思いました。

 今回のコロナパンデミックは第二次世界大戦後、最大の災害でした。勿論、戦争と疫病を同一では語れません。死者数も第二次世界大戦は8500万人、コロナは680万人(どちらも数字は諸説あり)ですから文字通り桁違いです。ただ、コロナの感染者となると感染者は6億7千万人(累計)、これは世界人口が80億人といわれている中、相当幅広い国で長い期間に渡り影響を及ぼしたというのが分かる数字です。一部の国や人だけでなく、全世界に共通する話題として今後何十年も語り継がれていく出来事だと思います。そのように大きな出来事でしたから、そこから学ぶ「教訓」「影響」といわれるものがいくつも出てきたと思います。ウィルスやワクチンに関する医療系のものから始まり、非常事態宣言などに関する政治的なもの、果てはオンラインでの仕事や学業の推進という生活様式に至るまで幅広く見直されました。これらは今後長く日本や世界に影響を残し続けるでしょう。ただ、それらはあくまで社会的なものが多く、皆様個人としては何か教訓を得られましたか?  私が思うに、コロナというのは日本にいると余り普段感じたことのない「命の危機」というものを多くの方が間近に体験した日々だったと思います。仏教では「臨終」という言葉がありますが、これは命が終わる最後の時を表すばかりではなく、「死」や「命」というものをどのように捉え、どのように考えるかという意味もあります。日蓮聖人などは「まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」という言葉を残しているほどです。お釈迦様の時代も日蓮聖人の時代も死者というものはすぐ近くの道端に遺体がある、というほど身近なものだったはずです。だからこそ、「死」や「命」に対して真剣に向き合って悩み、仏道修行をされたのでしょう。ある意味、我々もコロナという「命の危機」の時間を過ごしたことで一つの仏道修行を積み、教訓を得ているのではないかと思います。それは恐らく皆様も聞いたことがある「少欲知足」というものです。

例えば「少欲」に関しては欲望のコントロールのことをいうのですが、このコロナの期間で皆様は感染対策の為に色々な欲を抑えてきたと思います。  また「知足」に関しては色々な捉え方があるのですが今回は「大切なものが何かを考えた」のかなと思っています。うちのお寺では人が亡くなった場合、その方の生前の行いを遺族から聞くようにしております。そしてここ数年で亡くなった方の中には「遠方の孫らに会えなくなった」「旅行や撮影の団体に所属していたが、楽しみにしていた活動ができなくなった」「毎年、地元の同窓会や勤めていた会社のOB会に出ることを楽しみにしていたが、そういった人との繋がりが無くなってしまった」などコロナの影響による人との縁や楽しみが無くなったという声が多く聞かれました。そしてそれらがとても大切なものであることに無くなってから気づき、急に気力体力が弱ったという方もいました。やはり人に「生きがい」というものは必要なんだなと日々感じていました。そういったコロナ前は他の大勢の人たちもやっているし当たり前だと思っていたことが実はとても大切なのだと気づいた方も多いと思うので、これもひとつの「知足」だと思っています。

 昔から日本ではこの「少欲知足」の精神が大切にされています。世界的にみてもコロナ前からではありますがSDGsなど「欲張りすぎず、持続的なより良い世界を」とでもいうべき機運が高まっているように見えます。ある意味、当然なのです。限られた時間、限られた資源の中で生きている我々が人と争わず、協力して生きていこうと思えば「少欲」というのは当然の道理だと思いますし、その気持ちを忘れないためにも現状の日々が当たり前ではなくとても貴重なものだと認識する「知足」というのは必要な気持ちだと思います。ただ、これらは普段順調にいっている時にはなかなか学ぶことが難しい道理です。SDGsが人口増加による資源の枯渇や環境汚染による成長の限界が見え始めて議論されたように、我々もコロナという普段の行いや命を見つめ直す時期を送ったことで改めて「少欲知足」を自覚できる機会を貰ったように思います。ただコロナを「辛く、苦しい時期」とするよりも仏教の蓮の教えである「泥を糧に華を咲かせる」かの如く、その時期を将来の糧とする方が建設的ですし、仏教的です。  世の中、人の見方によって様々に変化すると言われております。上記のコロナ時期の捉え方もそうですし、例えば使い古した家具をゴミとみるか、愛着のある宝物と取るかは人の見方次第でしょう。

 新年早々、感染者や死亡数の話など余り明るい話題とはいきませんでしたが、この「少欲知足」の見方によって日常が当たり前でなく尊いものだと知れば、普段の日常が、そして本年が明るい年に見えてくるのではないかなと願い、この話を年初にさせて頂きます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。




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