住職法話

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2024.03.20 彼岸
智慧(前半)人の物事の見方


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元々お彼岸は仏道修行の期間ということもあり、毎年仏道修行の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)に関する話を順番にさせて頂いています。今年はいよいよ最後の智慧になりますが、これに関しては説明に迷うというのが正直なところです。今までの六波羅蜜は他者への施しや忍耐、努力など、皆様も「確かに修行として必要だね」と納得してくれそうなものです。しかし、智慧は違います。どちらかというと頭の良さや先見の明などを想像される方も多いのでそれは修行なのか、という意見もあります。また「世の中の真理を悟る」「執着や苦を脱する」「知見」などいくつもの意味を含む「智慧」ですが、六波羅蜜という修行の中に挙げられている意味は①修行の集大成として身につけていくもの、②正しい修行の為に必要なもの、だと私は思っています。

 ①に関しては皆様すんなり理解してくださると思います。先ほど挙げた頭の良さや先見の明などは生まれついてのものではありません。もちろん才能として頭の回転が早い方はいるでしょう。しかし、そこに何の知識や経験もなければ宝の持ち腐れです。例えば今、頭が良いと言われて思い浮かぶ一人は将棋の藤井聡太さんでしょう。頭の良さは言うに及ばず、先見の明に関しても将棋では40手程先まで読み切ると言います。対戦相手がどの手を打ってくるか迷う場面もあるでしょうからそれらも含めて40手というのはちょっと想像ができませんね。しかし、そんな彼も幼いころから将棋のことを学び、考え続けてきたからこそ前人未踏の八冠に届いたはずです。何も学ばず、何も経験しなければ頭の良さだけあってもただの凡人です。だからこそ、智慧を身につける為に修行や努力が必要だ、という話になるのです。

 ②に関してはどうでしょう。一番わかりやすい例は我々の身近にある「精進⇒努力」の例でしょう。努力をする際に闇雲に勉強した、練習したとしても結果がついてこないことは多々あります。もしくは、目標の為にしていた努力が実は見当違いで余り役に立たなかったりなど皆様にも覚えはありませんか。正しい努力をするためにも、正しい「見方、視点、認識⇒智慧」が必要なのです。先ほどの藤井さんの例でいえば、彼は将棋の練習をする際にAIを多用するそうです。2010-2018年に開催されていた「電王戦」という将棋のAIと人間の棋士が戦う試合があり、藤井さんは将棋で伸び悩んでいる時期にその電王戦を見たそうです。2018年以後は既に棋士はAIに勝てなくなったと言われ、役割を終えたとして開催されていません。ただ、藤井さんの場合はそこで終わりではありません。今までは人から教わった流派や将棋で最善手とされていた定跡(囲碁は定石)と呼ばれる打ち方も含めて研鑽を積んできましたが、自分の今までの打ち方をAIを通して分析したそうです。そうすると、手が限られてくる終盤は得意でしたが、打ち方が無数にある序盤から中盤の指し方には改善の余地が見つかったそうです。

AIというのは人とは違う見方をします。体系的に分かりやすく人に将棋を教えるという意味ではやはり人に敵うものはないそうです。他にも棋士として長時間に及ぶ対局の過ごし方やミスをした後の気持ちの切り替え方などもAIから学ぶことはできません。しかし、単純に勝負の中で将棋の手を読むとなると藤井さんの40手よりはるかに先を読んでいきます。そういった違う視点を通して自身を見つめ直し、前に進めるようになるというのは確かにひとつの「智慧」だと思います。実際、藤井聡太さん、iPS細胞の山中伸弥さんの対談をまとめた本『前人未踏』から本人の言葉を引用すると  「今のAIは強化学習によって、人間とは違う価値観、感覚が進歩してきたように感じます。それまで人間が気づかなかった手や判断を示されることもあるので、今までの価値観が刷新されてきて、むしろ自由度が上がったという感じがします。自分としてはAIを活用することで自分の将棋の新しい可能性を感じ、それで自分の棋力をより高めることができると思っています。」と述べられています。この「自由度⇒囚われなくなる」というのが「智慧」の効果だと思います。

 我々は普段何気なく生活しているだけで色々なものに囚われがちです。世間の流れや常識、経験、更には周囲との人間関係、様々なルールなど色々なものに触れながら生きています。それらは「より良くなりますように」と願って皆で決めてきたことなのでとても大切なものだと思います。ただ、それらに長く、何度も触れていると自然とそれらに関して考えることをやめてしまいます。心理学では「認知バイアス」と呼ばれますが、これは「考える」という負担を減らすための脳の機能だと考えられています。しかしデメリットも多々あって例えば先入観や偏見に繋がります。一番わかりやすいのは「安かろう、悪かろう」でしょう。ただ、安いものでも確かに良いものはありますし、高いからと言って一律良いものとは限りません。また、自分は大丈夫という過信にも繋がると言います。日常を問題なく過ごしていると自信を深めた方こそ、○○詐欺にかかることが多いのです。こういった認知バイアスに囚われない為にどうすれば良いかというと心理学では「正しい認識を持つことや別の視点をいれるなどの比較をする」「因果関係、どうして安くなったのか・高くなったのか、儲けられる理由や仕組みを探る」とあります。先ほどの藤井さんの話にも出てきた将棋の定跡というのはある意味の「認知バイアス」でもあります。それらをAIという人とは別の視点を通じて改めて考えた結果、その定跡に前ほど囚われなくなったからこそ、先ほどの「自由度が上がった」という話に繋がるのだと思います。

 ここまでは皆様にも理解しやすく心理学の話を絡めましたが、認知バイアスの弊害を避ける為の心がけは「因果」や「正しい認識、別の視点⇒智慧」など仏教の教えと同様だと思います。むしろ紀元前から伝わるという歴史の長さを考えれば仏教こそが本家本元でしょう。仏教は古臭い、宗教は怪しい、それも一つの認知バイアスだと私は思っています。言葉こそ違いますが先端科学にも通じるほどの知見、「世の中の真理」という部分に確かに仏教は踏み込んでいます。「良いものは良い」、囚われずにそう言えるのも一つの智慧だと私は思っています。



2024.01.01 新年
コロナ後の新年を迎える―少欲知足

瑞法光寺 住職法話
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旧年中、コロナや戦争、物価高など色々とありましたが皆様と共に新しい年を迎えることができました。思えばコロナが五類に下がり、コロナが明けたと言われてから初めて迎えるお正月です。皆様も家族で集まるなどイベントごとが増えてきたのではないでしょうか。そういった時期の話として明るい話題か暗い話題かは悩んだのですが、今回はコロナという暗い時期をあえて振り返りたいと思います。ずっとこの話をしたいなと思っていたのですが五類に下がったばかりの昨年の五月頃はまだ皆様困惑して実感が持てず、余り心が落ち着かなかったように思います。それから半年、ようやく心が落ち着き、旧年を振り返り新しい年を迎えるこのお正月でぜひ振り返るべきだと思いました。

 今回のコロナパンデミックは第二次世界大戦後、最大の災害でした。勿論、戦争と疫病を同一では語れません。死者数も第二次世界大戦は8500万人、コロナは680万人(どちらも数字は諸説あり)ですから文字通り桁違いです。ただ、コロナの感染者となると感染者は6億7千万人(累計)、これは世界人口が80億人といわれている中、相当幅広い国で長い期間に渡り影響を及ぼしたというのが分かる数字です。一部の国や人だけでなく、全世界に共通する話題として今後何十年も語り継がれていく出来事だと思います。そのように大きな出来事でしたから、そこから学ぶ「教訓」「影響」といわれるものがいくつも出てきたと思います。ウィルスやワクチンに関する医療系のものから始まり、非常事態宣言などに関する政治的なもの、果てはオンラインでの仕事や学業の推進という生活様式に至るまで幅広く見直されました。これらは今後長く日本や世界に影響を残し続けるでしょう。ただ、それらはあくまで社会的なものが多く、皆様個人としては何か教訓を得られましたか?  私が思うに、コロナというのは日本にいると余り普段感じたことのない「命の危機」というものを多くの方が間近に体験した日々だったと思います。仏教では「臨終」という言葉がありますが、これは命が終わる最後の時を表すばかりではなく、「死」や「命」というものをどのように捉え、どのように考えるかという意味もあります。日蓮聖人などは「まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」という言葉を残しているほどです。お釈迦様の時代も日蓮聖人の時代も死者というものはすぐ近くの道端に遺体がある、というほど身近なものだったはずです。だからこそ、「死」や「命」に対して真剣に向き合って悩み、仏道修行をされたのでしょう。ある意味、我々もコロナという「命の危機」の時間を過ごしたことで一つの仏道修行を積み、教訓を得ているのではないかと思います。それは恐らく皆様も聞いたことがある「少欲知足」というものです。

例えば「少欲」に関しては欲望のコントロールのことをいうのですが、このコロナの期間で皆様は感染対策の為に色々な欲を抑えてきたと思います。  また「知足」に関しては色々な捉え方があるのですが今回は「大切なものが何かを考えた」のかなと思っています。うちのお寺では人が亡くなった場合、その方の生前の行いを遺族から聞くようにしております。そしてここ数年で亡くなった方の中には「遠方の孫らに会えなくなった」「旅行や撮影の団体に所属していたが、楽しみにしていた活動ができなくなった」「毎年、地元の同窓会や勤めていた会社のOB会に出ることを楽しみにしていたが、そういった人との繋がりが無くなってしまった」などコロナの影響による人との縁や楽しみが無くなったという声が多く聞かれました。そしてそれらがとても大切なものであることに無くなってから気づき、急に気力体力が弱ったという方もいました。やはり人に「生きがい」というものは必要なんだなと日々感じていました。そういったコロナ前は他の大勢の人たちもやっているし当たり前だと思っていたことが実はとても大切なのだと気づいた方も多いと思うので、これもひとつの「知足」だと思っています。

 昔から日本ではこの「少欲知足」の精神が大切にされています。世界的にみてもコロナ前からではありますがSDGsなど「欲張りすぎず、持続的なより良い世界を」とでもいうべき機運が高まっているように見えます。ある意味、当然なのです。限られた時間、限られた資源の中で生きている我々が人と争わず、協力して生きていこうと思えば「少欲」というのは当然の道理だと思いますし、その気持ちを忘れないためにも現状の日々が当たり前ではなくとても貴重なものだと認識する「知足」というのは必要な気持ちだと思います。ただ、これらは普段順調にいっている時にはなかなか学ぶことが難しい道理です。SDGsが人口増加による資源の枯渇や環境汚染による成長の限界が見え始めて議論されたように、我々もコロナという普段の行いや命を見つめ直す時期を送ったことで改めて「少欲知足」を自覚できる機会を貰ったように思います。ただコロナを「辛く、苦しい時期」とするよりも仏教の蓮の教えである「泥を糧に華を咲かせる」かの如く、その時期を将来の糧とする方が建設的ですし、仏教的です。  世の中、人の見方によって様々に変化すると言われております。上記のコロナ時期の捉え方もそうですし、例えば使い古した家具をゴミとみるか、愛着のある宝物と取るかは人の見方次第でしょう。

 新年早々、感染者や死亡数の話など余り明るい話題とはいきませんでしたが、この「少欲知足」の見方によって日常が当たり前でなく尊いものだと知れば、普段の日常が、そして本年が明るい年に見えてくるのではないかなと願い、この話を年初にさせて頂きます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。



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