2019 住職法話
2019.06.01 鬼子母神大祭
川崎市の児童殺傷事件を受けて
本来、今回は皆様からの質問もあった占い(暦も含む)に関しての当持院の立場を説明したいと思っていたのですが、予定を変更して児童殺傷事件を少し取り上げたいと思います。
あのような事件はとても心が痛みます。私もまだ4ヶ月とはいえ親という立場になりましたし、近くにある江戸川学園も平成22年に実は「取手駅通り魔事件」としてバスの中で次々と学生が刺されるという事件がありました。今うちの近くにはさらに江戸取の小学校もできてやはりスクールバスで送迎をしています。いつでも自分たちのそばで起きるかもしれない問題をどう防ぐか、各ニュースなどでも盛んに議論が交わされていました。
大体のニュースでは先生や父兄の見守りの強化や子供達の避難訓練を挙げていました。また、犯人が複雑な家庭環境におかれており、カウンセラーや行政の仕組みづくりを訴えている方もいました。どれも確かに有効だと思います。ただ、特に前半の防犯対策などに関してはイタチゴッコになる可能性が高いと思っています。
私としてはぜひ、気の長い解決策になるかもしれませんが、こういう事件を防ぐには人々の良心(良意)を育てる道徳事業を強化してほしいと思っています。なぜなら元々、日本人は道徳意識が高い為に安全な国といわれてきたからです。今回のニュースでも紹介されていましたが、海外、アメリカやフランスなどの先進国でも子供が通学する時に一人で学校にいく、または子供同士で登校するのは法律違反になるケースがあるそうです。ほとんどの国では安全上の問題で小学生は親が送迎をするかスクールバスで登校するのが普通で、それ無しに日本で子供達の登下校が認められているのは道徳意識が高く、安全だといわれる日本を象徴する光景なのです。
ただ、最近はそれも揺らいできたような気が致します。もちろん、昔より多様な価値観が増えてきた、海外から道徳観が異なる人々が入ってきたなど様々な理由が考えられます。ただ、日本人の道徳観の低下、というのも一つの理由だと思います。
昔の日本では何が道徳かというと教科書でも習った『憲法十七条』まで遡ると思います。これは憲法と名付けられていますが、実際は当時の仏教・神道・儒学の教えを混合させ、官僚や貴族が守るべき道徳的規範として作られたものです。皆さんも「和を以って貴しとする」ということわざを聞いたことがあると思います。あれこそ、『憲法十七条』の第一条、最初の出だしです。ちなみに第二条では「篤く仏法僧を敬え」という仏教でもたびたび出てくる文言が記載されています。そして江戸時代の頃にはさらに朱子学などの影響もあり、日本らしい道徳観が形成されていったそうです。
この時代、教科書で習うほどの有名な文章というのは私も知らないのですが、恐らく文章として一番残っており、近いものが『教育勅語』だと思います。この文章は各方面から軍国主義の教典だとする批判があるのも事実です。それに明治の時代は様々な古い慣習を廃して国際社会に通じる日本を目指すという事情で宗教色を排除するなど、削ぎ落とされてしまった部分もあります。ただ、それを差し置いても確かに日本的な道徳観だと思う素晴らしい文章もあるのです。その一部をご紹介いたします。
「臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし・・・」
昔の日本的な道徳観を示す一つの良い資料だと思っています。
ここまでいうと私が『教育勅語』や宗教教育の復活を願っているかのようにみえてしまうかもしれませんが、それは現状には合わないと思っています。ただ、もう少し、仏教でも説かれているような「普遍的な良心」というものを「道徳」という形で学校や家庭で教えていくべきだと思います。
例えば、悪い事をして人の怨みや嫉みといった悪縁を結ぶといずれは自分に帰ってくるという因果応報、自分たちが今ここにいるのは親御さんがいて、そのさらに先祖がいて連綿と我々の生を願ってくれたお蔭という先祖代々、視野を広く持ち、偏見や慢心で視野を狭めてしまわないようにという「中道」の考えなどです。
仏教はお葬式など、人生の後半に必要とされる方が多いです。人生の幕引き、それをどう葬送するか、それも確かに重要なことです。しかし、決してそれだけが仏教ではないのです。因果応報の考えからすると幼い頃から心がけて「道徳」などの良因を積み重ねれば良い人格が形成されます。海外でも幼少期の心の教育というのは注目をされていて、日本でも2018年に学校では長らく教科外の「活動」とされてきた道徳の教科が「特別な教化」に格上げされました。私としても「道徳」教育の一環として仏教に含まれている「普遍的な良心」をぜひ皆様に取り入れて頂きたいです。何故なら昔から日本の言葉や習慣に溶け込むほど馴染んできた大切な教えであり、皆様も聞き覚えのあるものが多いからです。
私が鬼子母神大祭の「身体健全」や「発育増進」の御札に「良意(良心)」の言葉を入れているのも上記のような事情があり、少しでも皆様に「普遍的な良心」というものに触れて欲しいと願っている為です。ぜひ、皆様のご家庭でも子供さんやお孫さんに「普遍的な良心」を積極的に教えてあげてください。それが今回のような心痛む事件を減らすことに繋がる最良の方法ではないかと個人的には思います。
2019.03.19 春彼岸
六波羅蜜の「持戒」について
お彼岸は仏道精進に適した時期であり、その修行として六波羅蜜というものを以前にあげさせて頂きました。去年はその一つ、「布施」に関して書かせて頂きましたが今年は「持戒」の解説をしていこうと思います。
「持戒」とは読んで字の如く、「戒律」を「持(たも)つ」ということです。この「戒律」というもの、簡単に言うと宗教的規律・集団生活上の規律をまとめたものです。宗教を抜いて国家が規定したものが「法律」になります。昔は国家というものがまだまだ不安定だったので集団の中では「戒律」が非常に重んじられました。
例えば一番基本となる戒律の五戒には「殺人」「泥棒」などが含まれました。その上で時期や立場によって戒律が増えます。例えば時期によっては「歌や踊りを見聞きしない」というものもありますし、僧侶になった者には「お金に触らない・所有しない」という戒律もありました。
ただ、これらは土地柄や習慣などによってかなり変わります。お釈迦様がおられたインドの中ですら様々な種類の戒律があったようです。その為、これが中国、そして日本へと渡った時に内容が随分と絞られます。その中でも戒律の基本として「大乗戒」といわれる三つの基本が述べられます。簡潔にいうと「悪い事をやめる」「善い事をする」「相互扶助」の三つです。仏教の考えとして「善いことをすれば善い結果」「悪い事をすれば悪い結果」がついてくるという因果応報の考えがあるので確かに、と思う戒律です。
そしてこの三つを基本として善い事・悪い事が整理されていきます。時期や立場によっても変わりますが、有名なものは以前もご紹介した「十善」「十悪」などが挙げられます。十悪をしないことが十善に繋がるのでひとまず十悪だけ簡単にご紹介致します。十悪には身体の悪が三種類、口の悪が四種類、心の悪が三種類あります。
「殺生」「盗み」「邪淫」・「嘘をつく」「無意味なことをいう」「陰口」「他人の仲を裂く言葉」・「むさぼり」「いかり」「偏見」
確かにこの十個は時代によっても変わらず、大切なことだと思っています。逆に上記にある「歌や踊りを見ない」「お金に触れない」などは現代においては難しいです。当時はそれが例えば「贅沢な遊楽に夢中になってしまって他がおろそかになる」「お金は持たなくても周囲が衣食住を施してくれる」などの理由があったのかもしれませんが、現代においては日常的に身近で流れていたり、必要なものです。これらを全て避けるのは難しいですし、昔ほどの悪い事には当たらないと思うので現代では不要な戒律だと思います。
この戒律の話で何が大切な事かというと、私は戒律や法律とは先人達の智慧だと思っています。これを守れば人とうまくいく、集団で行動できるというものだと。もちろん時代にそぐわないものや明らかに悪法と思われるものもありますが、基本的には「悪い事をして悪い結果を生まない」ということを重視していると思います。そしてそれは何も法律などの大きな規模だけでなく、社訓や家訓、家庭内の決め事や約束など様々なものが広義の「戒律」としてあてはまると思います。私達の生涯は一度だけであり、時間も有限です。その為、様々な人が残した訓示というものは失敗を未然に防ぐ上で非常に大切なものです。
例えばこの時期に思い出す東日本大震災もその一つです。もちろん地震は避けられないのですが、東日本大震災の後、同規模の地震が定期的に起こっていたという記録や大きな津波がここまで到達したという石碑が改めて発見されました。過去の記録は確かに曖昧で不確かなものが多いですが、地震観測網が整備され、記録が開始されたのはそれこそまだ120年程前でしかありません。日本書紀などまで遡れば1600年前まで遡ることができます。もし東日本大震災以前からそのような文献・石碑の研究がなされていれば「想定外の津波」による犠牲はもう少し減らすことができたのかなと思っています。
そういった意味では仏教も同じなのです。仏教は戒律なども含めて「悪い事をして悪い結果を生まない」ための方法が多く説かれています。そしてその年数は諸説ありますが2500年程前から様々な国で語り継がれるほど普遍性のあるものです。その中には我々が一生の内でたどり着けない見方や心構えなども含まれています。そしてそれらは日本社会には既に習慣として溶け込んでいるのです。
例えば皆様は「謙虚に生きなさい」と言われたことがあると思います。謙虚の反対は「傲慢」なのですが、これは仏教の中でも特に戒められている「慢心」を持った状態のことです。「慢心」を持ってしまうと「人の話を聞かない」「誤った見解をもってしまう」などの状態に陥り、大切なことに気付かずに失敗をすると示されているのです。ただ、これらを仏教や親からの教えがなく、一人で気付こうとした場合、一度は慢心して、失敗した上でさらに自分や周囲を省みるということが必要です。それが小さい事であれば良いですが、大きな失敗の場合は立ち直れないこともあります。
私としては「持戒」とは大きな失敗を未然に防ぐため、仏教を始めとして社訓や家訓といった周囲の決まりごとをもう一度見直して、意味合いを考え、改めて今の生活や考えを見直していくことだと思っています。ぜひ、このお彼岸という仏道修行の成果がでやすい時期に仏教や周囲との決め事などを振り返ってみませんか。意外と今後に役立つ発見があるかもしれません。
2019.01.01 新年
平成の終わりに際して
今年で平成も最後になります。皆様にとって平成とはどういう時代だったでしょうか。三十半ばの私にとっては平成は物心ついたときにはなっていたものであり、自身の人生の大半を表す言葉です。そんな平成が終わる、私にとっては「変化」という言葉をとても意識する昨今でした。そんな中で、私は一つの番組を見ました。NHKが特集した『天皇 運命の物語』という番組で平成の天皇陛下である明仁陛下の半生を紹介したものでした。その番組を観て、平成という時代、そして戦後の日本の変化というものを陛下が象徴しているように感じたので少しご紹介したいと思います。
この番組では陛下の幼少期からの姿が放送されていました。それによると、幼い時には未だに日本が戦争をしている時であり、当時の昭和天皇が現人神(あらひとがみ)と神格化されていたので『神の子』として特別扱いをされて育てられたそうです。その為、小学生時代の同級生からの印象は「自己中心的な一般人とは遠い方」というものだったそうです。しかし、その後に戦況が悪化、疎開や避難を繰り返し、11歳の時に終戦。その後、新しい日本国憲法が制定された時には『天皇は日本国の象徴』と規定され、「神から象徴へ」という変化にさらされることになりました。それからの中学・高校では一般の方々と一緒に授業を受けられたり、相部屋で寮生活を送られたりと、人々と距離を縮めるような生活を送られたそうです。その変化を示す話として馬術部の話があります。当時、高校生の陛下は馬術部のキャプテンを務められたそうですが、周囲の人々は陛下が怪我などしてはいけないと、癖が無く一番乗りやすい馬を陛下にあてがわれたそうです。しかし、陛下は馬術大会に臨むときに、「キャプテンらしく難しい馬に乗せて下さい」と特別扱いを嫌ったそうです。
18歳になり皇室の定めでは成人された陛下は戦後復興の象徴として国民の期待をかけられていくことになります。特に、イギリスのエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として参加されたことは戦後まだ国際外交が余りできていなかった日本にとって大きな意味を持っていました。しかし、戦争の影響でイギリス国内には日本に対する嫌悪感が強く残っており、日本が戴冠式に参加することに対してデモが起きるほどでした。ただ、当時のイギリス首相だったウィンストン・チャーチル氏の働きかけなどによりデモは収まり、この戴冠式は日本が国際社会に復帰する為の一助となりました。そして、帰国後、大学を終えられてからテニス大会で知り会われた美智子様と自由恋愛の末にご成婚。戦前には旧華族としか結婚しないという風習があり、実際に当初のお妃候補に民間人であった美智子様の名前は無く、陛下からの要望で名前が挙がったそうです。そういった末のご成婚ということもあり、まだお見合い結婚が多かった当時の風潮に変化をもたらし、社会現象になりました。その後も子育てを乳母に任せず自分たちで行い、各被災地を回る際も距離をおいて訓示のように語りかける戦前の形ではなく、膝をつき、被災者の近くに寄り添いながら話を聞く、という形に変わられました。
この番組でも取り上げられていたように陛下は戦前から戦後へ、神から象徴へ、敵対国から友好国へ、戦争から平和へと様々な「変化」をされてきたように思います。「様々な時代や状況に応じての変化」、私はこれこそがとても人や国に大切なことだと思っています。そしてこの思想は仏教により古来から日本でよく親しまれてきたと思っています。
仏教では「諸行無常」という言葉があります。有名な平家物語にも出てくる「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という言葉、皆さんも一度は学校か教科書で見かけたことがあるのではないでしょうか。その意味は「この世で作られたものは姿や性質において常に流動的に変化していくものであり、不変なものはない」という教えです。また、皆さま「いろは歌」をご存じですよね。あれは弘法大師空海が作られたと伝えられ、「諸行無常」を含んだお経の一文を歌として読み直したものです。いろは歌の原文は次のようになります。
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であり、生や死に執着する迷いや欲を超越できれば安楽となる)
いろは歌はこれを和訳して歌い直し、
「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日超えて、浅き夢見じ酔ひもせず」(色鮮やかに咲き香る花もいつかは散ってしまうように、人も世の中も目まぐるしく変わっていく。有為の奥山≪=有為転変、諸行無常のこと≫を超えよう、浅き夢や酔いに溺れることなく)
となるのです。このいろは歌は重複する音がないように作られているので日本語の手習いの教本として広く世に知られていました。いつの頃か、その意味までは伝えられなくなってしまいましたが。ただ、どれだけこの思想が人々に伝わっていたのかが分かると思います。
平成という時代が終わる、それも一つの変化であり止めようのないものです。先ほどの天皇陛下の話もそうでしたが、時代にせよ、人にせよ、ずっと同じようにというわけにはいきません。例えば平成の中で大きく変わったこととしてはインターネットや携帯電話、パソコンの普及でしょう。これにより個人でも多くの情報が集められるようになり、どこにいても連絡が取れるようになり、仕事が効率化されることになりました。一方で、例えば葉書や書籍、新聞といった紙媒体のものは減少し、電話交換手や手紙の代筆屋などは職業として消えてしまいました。このような変化に反発した方もいたと思います。ただ、こうやって変化が進んでくると個人の想いとは無関係に世の中が変化していきます。それが良い事なのか悪い事なのかはわかりませんが、「変化を止めることができない」ということだけは確かな事だと思っています。
ただ、これは悪い事ばかりではないです。衰退ばかりではなく、困難な状況におかれてもいずれ変わる、という意味もあるからです。大事なことは仏教の中道に代表されるように、世の中は常に「変化」し続ける、対応するために我々も「変化」し続けなくてはいけない、という自覚だと思います。
陛下も平成30年に行われた在位中最後の誕生日の会見を次のような文章で締めくくられました「(前略)そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。」我々国民にも同じことが言えると思います。新しい元号・時代には「変化」に応じて道を歩んでいくことが大切になると思います。
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