住職法話 2020年(令和2年)

2020 住職法話

2020.12.02 年末
人形供養に関して

人形供養とは何でしょうか。それには人形の意味合いを知らないといけません。人形は古くから「人を模したもの」として作られました。市松人形は江戸時代の歌舞伎役者、佐野川市松を模したものと言われています。また、雛人形同様、女の子の成長を願ってお守りとして贈るという形もあります。大切なことは人形とは「誰かに寄り添う」「願掛け」などの為に作られ、贈られるということです。そこには人の想いが必ず存在します。そしてそういった人の想いがこもり、さらに「眼」がある人形には魂が宿ると昔から言われてきました。実際、眼の有無でだいぶ印象が変わるかと思います。

一番、皆様の身近で有名なものは選挙や長寿などの際に使用されるダルマでしょうか。眼なし眼あり。どうでしょう、イラストではありますがイメージが違うと思います。 古来から、仏像でも完成の際には「開眼」という魂入れの儀式をしております。そのような人や仏様、何かの形をとって想いや願いがこもったもの、それを粗末にせずに感謝して供養することは必要なことだと思います。皆様もやむを得ず処分する人形、それは誰かから「一緒にいてあげて欲しい」「少しでも寂しい思いをしないように」など想いを込めて贈られたものではないでしょうか。そういった想いに感謝しながら持ち主さんにもご供養して頂くことが人形供養で大切なことです。ぜひ、想いを込めてお焼香をお願い致します。



2020.08.23 お盆
葬儀の説明(変えるもの、変えぬもの)

お寺も墓じまいや樹木葬の検討を皆様から相談されることが増えてきました。昔はお墓が絶える心配をする必要がありませんでしたが、今はお子さんも少なく、どこに住むかもわからないという事情が多いですので、これは変えるもの、やむを得ない変化、かなと思います。  お寺としてもこれから先は正直わかりません。なぜなら昨今、様々なものが変化しているからです。上記の墓じまいに関してもそうですが、生活形式が変わったというだけでなく、「宗教離れ」の風潮がありますし、さらにはその流れに便乗して色々なものを粗末にする方もいるからです。

 現状、お寺の檀家さんでお葬儀をしたくない、という方は余り聞きませんが、外部から受けるご相談ではかなり直葬(葬儀を行わず、直接ご遺体を荼毘に付す)がコロナの影響もあり増えたと聞いております。確かに人を集めることが感染を起こすと注意喚起されるなか、お葬儀の簡略化・少人数化は避けられないでしょう。ただ、少なくとも私がご相談を受けた方には「葬儀の意味合い」と「直葬の実態」を説明すると例え参列者が数名でも葬儀をして頂くことが多いです。なぜなら意外と皆様その意味合いや実態を知らない方が多いからです。

 葬儀は人の一生の節目を表すとされる「冠婚葬祭」という言葉にもあるように特別な儀式です。
冠・・・元服、現在の成人式を表す。一人前になり、社会を支える。
婚・・・結婚式。夫婦となって人の縁を繋げる。
葬・・・葬儀。人生の幕引き、生前の徳を称え、新たな旅立ちを願う。正式名称は「葬送の儀」
祭・・・先祖の霊を祭る。法事やお盆、夏祭りなど様々な風習の原点。

特にこの中で「葬儀」は特別だとされます。冠婚は生前の通過点であり、祭は故人の死後、習慣として何度も行います。葬儀だけが皆に等しく一度しかない「死」という機会であり、生前と死後を分ける「境界線」でもあるからです。

皆様は幼いころ誕生日を祝って頂いたでしょうか。成長を祝い、楽しく過ごした記憶があると思います。お子さんをお持ちの親御さんは子どもが生まれた時のことを覚えていますでしょうか。私もそうですが、我が子の誕生を心待ちにして、産まれた際には大層喜ばれたと思います。そういった「生」に対するお祝いは大切に何度も行う人が多いですが、その「生」の幕引きである「葬儀」だけは軽視する方がいます。多くの方を看取ってきた者としてそれはおかしいと思います。宗教に関わらず、世界中、どこでも死者には敬意を表し、丁重に葬ります。「死んだら終わり、何もしない」という人もいますが、決してそんなことはないです。今まで生きて積み上げてきたこと、そしてそれらが周囲に引き継がれていくこと。それをきちんと知る人は故人の「生前」の行いを称えて感謝し、「死後」の冥福を祈ります。

そして直葬の実態ですが、よくネットでは葬儀社さん方が色々な名前を付けています。「火葬式」「お別れ葬」「シンプルプラン」「火葬お別れプラン」 ただ、どんな名前を付けてもその実態は火葬場の炉前にて5分間だけ行うことです。そもそもどの葬儀屋さんもそうですが、ネットでは費用の安さなどは必ず伝えますが、具体的な時間の記載がないことが多いです。おおよそ、皆様の認識として葬儀時間目安は30分~1時間弱程度かな、という方が多いです。実際、地域やその時の火葬場・葬儀場の都合により前後しますが、40分前後というところが多いでしょう。火葬式も「葬」や「式」という言葉が入ってしまっているのでそれに準ずるか多少短い程度と思い込んで物事を進めてしまう方が多いです。

 ただ、火葬場は1時間、ないし2時間の枠内で入れ替わり立ち代わり複数人の方を火葬します。火葬場によっては告別ルームのような個別でのお別れの場所がなく、炉がいくつもあるホールだけの建物やひっきりなしにご遺体がやってきて順番待ちしているようなところもあります。そういった中でそんなにも長く、お別れができません。質問してみれば一組5分というのは基本的にどの葬儀社さんも口を揃えて言われることです。葬儀をどれだけやれば十分なのか、考え方は違うでしょう。ただ、多くの方を看取る立場からすると5分間という時間は余りにも短すぎると思います。断り切れず、事情のある方を直葬で送ったこともありますが、遺族も満足はしませんでした。葬儀では前述のとおり、生前の徳を称え、新たな旅立ちを願います。ただ、5分はではそれができません。元々、炉前のお経というのは葬儀が終わり、遺体を荼毘に付す際に最後のお経を届ける、いわば「最後の挨拶」として行ってきたものです。意味としてはあると思っていますが、それが葬儀と同等かと言われれば否定をします。また、この5分はゆっくりできる5分ではありません。次の方が待っていますから、お焼香や顔の拝見も手短に、と伝えられて急かされての5分です。そんな慌ただしい中で本当にきちんと葬送することができるでしょうか。私は少なくとも自分の身内にはしたくありません。

 宗教を離れたとしても親がいて先祖がいて、だれ一人が欠けたとしても自分や周囲は今のように生きていない、その道理を知れば「死」は重く、大切に扱うべきものでしょう。だからこそ、仏教者としてはどんなに小さくても必ず葬儀は行いましょうと呼びかけます。後で「やっておけば良かった」や「きちんと送れなかった」と後悔する方を見てきた経験からです。 その為、これだけは状況が変わっても時代が変わっても「変えぬもの」として貫きたいと思います。元々、明治で神道が国教になり、廃仏毀釈がおこり、仏教は無くなるはずでした。それでも残ったのはそういった葬儀や供養をお寺がなくてはできないと皆様が守られたからです。それも無くなるというならそれは今度こそお寺が無くなる時だと思っています。ぜひ、皆様には葬儀・供養に対するご理解を頂ければと思います。



2020.06.08 鬼子母神大祭
灯(ともしび)について

昨今、コロナウィルスの影響で様々な人や物に影響があるといわれています。 特に観光・飲食・衣料などは人の流れが変わり、緊急事態宣言が明けた今なお通常営業ができていない状況です。国内の今年度倒産件数は四月だけで七百件余り、年度としては一万件に届くのではないかと言われています。お寺も法律上は宗教法人であります。そういった存在を預かる身としてはとても他人事ではありません。法人というものが一人ではなく、多くの人や苦労に支えられて成り立っていることを思うと倒産が多いことは残念でなりません。

 そんな危機的状の中でよく聞く言葉として「風前の灯」という言葉があります。この言葉はご存知の通り、風の強い場所に灯を置くと消えてしまう、危機的状の中にあって今にも無くなってしまいそうな様子を表す言葉です。このコロナウィルスの猛威を強い逆風と例えるなら確かに今の法人の状況を表している言葉でしょう。  我々は色々なものを灯に例えます。人の命を例える場合もありますし、上記のように法人などの存続を表す場合もあります。また、オリンピックの聖火などがわかりやすいですが、火そのものを神聖なものとしてとらえたり、象徴としてとらえることもあります。その理由は様々でしょうが、灯というものが何もしなければいづれは消えてしまう存在ということ、太陽などと同様に「闇を払う光」として古来から人に重宝されてきたからだと思われます。

 仏教の中でも「法灯明」という教えがあります。  お釈迦様が亡くなる直前に説いた教えと言われており、弟子たちがお釈迦様に「お釈迦様がいなくなられた後、我々は今後、何を頼りに生きていけばよいのでしょう」と問われた際にこの言葉を伝えたといわれております。  仏教において「法」とは物事の道理や本質のことを指し、そういったものを説いた仏教そのものを指す言葉です。この世界は「先が見通せず、悩み苦しみの多い世界」とされていましたので「灯明」とはそれらを照らし、先を見通すために必要なものとして説かれます。  すなわち「法灯明」とは「この悩み苦しみが多い世の中で、私の代わりに物事の道理や真実を示した仏教を頼りに生きていきなさい」というお釈迦様の遺言なのです。  また、法灯明とセットでお釈迦様が伝えられた教えとして「自灯明」という言葉があります。こちらは法灯明とは対照的に「自分を灯としなさい」という意味です。ただ、これは複数の解釈があります。

「自分を頼りに生きなさい」「他人の意見に左右されないように」「己と向き合いなさい」「自分の思うままにいきなさい」  など、後世の僧侶や学者によって曲解ともとれる程に見解がわかれます。  私個人としては、「お釈迦様が亡くなる直前に長く教えを受けた弟子に向けて語った言葉」であり、「仏教を頼りにいきなさい」という法灯明を合わせて伝えていることから「仏教を学んだ自分を信じ、頼りとしなさい」という意味だと思います。また、仏教の中では「仏教を他者に教え弘め、共に救われること」が目的にされておりますので、お釈迦様の死後、「今度は仏弟子であるあなたが私の代わりに人々の灯となりなさい」という意味を含んでいると思っています。

 そしてこの自灯明・法灯明の教えを受け継ぎ、人々に布教するのが僧侶・寺院の役目だといわれております。私も平成29年に法灯継承式(住職認証式)を行いました。また、葬儀・法事などはその教えや世界観を基にした供養であり、非常に大切なものですが、僧侶・寺院の活動の全てではなく、一部なのです。  だからこそ、当寺院でも仏教の教えを皆様に文章にしてお伝えしております。文字数も多く、読まれる方が限られているというのはわかるのですが、写経・説法などに代表されるように仏教を人々に伝えるということがお寺の一番大事な活動だからです。その役目からすると今回のような厳しい状況にあっても、我々としては工夫を重ねながら仏教に接する機会(仏縁)や信心といったものを繋いでいくことが求められます。そしてそれはいづれ皆様が仏教を理解し、自分を頼りとしながらこのままならない世界を照らしていくための自灯明となる為に必要なことだと思います。

 前述した通り、コロナウィルスの影響はまさに逆風であり、これが長期間続いた場合は様々分野が風前の灯だと思います。ただ現在、様々な業種がその灯を絶やさぬように努力をしています。全国の夏のイベントが続々と中止が発表されているなか、六月一日に全国の花火業者が一斉に各地で五分間ほどの打ち上げ花火を行いました。三密を避けるために開催場所などの告知はされませんでしたがとても粋な計らいだと思います。目的は「コロナウィルスの早期収束を願う」「辛い状況でも下ばかりではなく上を向いてほしい」などがあったそうです。また、花火大会の由来が墨田川花火大会に代表されるように「大飢饉やコレラなどの厄を払い、亡くなったものに供養する為」といった今の状況に近いこともあったそうです。我々お寺としてもこの厳しい状況の中、工夫しながら仏事を行っていき、本来の仏教の意味合いや皆様が仏教と触れ合う機会である仏縁というものを絶やさないように努力していきたいと思います。慣れぬこともあるかと思いますが何卒ご協力をお願い致します。



2020.03.18 春彼岸
六波羅蜜の「忍辱」について

お彼岸は仏道精進に適した時期であり、その修行として六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)というものを以前にあげさせて頂きました。去年はその一つ、「持戒」に関して書かせて頂きましたが今年は「忍辱」の解説をしていこうと思います。  「忍辱」とは現代の「忍耐」という言葉が一番わかりやすいと思います。簡単に書くと仏教では次のように説明されています。
〇この世→生老病死に代表される悩み苦しみが多く、人の想いがままならぬ場所。
〇我々 →欲望や不安、怒り、嫉妬、慢心などにより正しい見方・行動が難しい。
〇忍耐 →不安定なこの世や我々の間に起きる摩擦や問題などを耐え忍ぶことでより良い結果に繋げる。

 例えば人に悪口を言われた時、同じように言い返しては喧嘩になってしまい、よい結果にはならないでしょう。一旦、耐えて悪口を受け止めて、どうすれば改善するかの前向きな議論に誘導したり、喧嘩にならないように聞き流したり、そのような対応の方が穏便に済むことが多いと思います。また、何か辛いことがあってもやめないで継続し、成功していく、というのも忍耐の一部分です。

 昔のことわざで「忍の一字」なんて言葉を聞いたことがある方もいるかもしれません。あれはきちんというと「忍の一字は衆妙の門」、という言葉の一部です。意味合いは「忍耐の精神を常に持つことが、あらゆることを行う上での出発点であり、それが成功に繋がる」というものであり、中国の古典『論語』が由来のようですが、仏教以外でもやはり大切にされていたようです。そのような「忍耐」ですが仏教では単独で行うものではなく、他の六波羅蜜とセットで考えられます。例えば前回の「持戒」で怒りや嫉妬の心は良くない、という戒律を紹介しましたが、その心を持たないようにするにも「忍耐」が必要です。また、「忍耐」というと、じっとしていれば良い、という考え方をする人もいるのですが、そこは正しく忍耐する為に「智恵」が必要です。良い結果に繋げる、これが目標ですからその目的に沿ったことをします。例えば職場で、この仕事を乗り越えれば成功に繋がる、と思えば仕事の辛さに対して忍耐が必要でしょう。ただ、職場環境が悪く、働いても働いても報われず、使い潰されるだけ、という場合は智恵を働かせ、きちんと先を見極め、先行きの不安に耐えながら転職をしたほうが良いでしょう。  このように「忍耐」とは「より良い結果」を求めて行うものなので、正しく先を見る「智恵」が特に重要になっていきます。

昨今、コロナウィルスが流行っております。ニュースで連日報道され、皆様も不安な日々を過ごしているかと思います。今回のウィルス、中国から感染が始まった時、その感染力の強さや潜伏期間の長さ、そういった諸々の要因を鑑みて、最初に「このウィルスはパンデミック(世界的流行)を起こすだろう」と判断したのはアメリカでした。だからこそ、アメリカは真っ先にウィルスのワクチン作成に着手し、いち早くにワクチンと血清の開発ができるのではないかと言われています。「治療薬」という「因縁」を作り、「病を治す」という「結果」に導く。これは一つの正しい「智恵」だと思います。ただ、この治療薬もすぐに人に使えるわけではありません。臨床試験や大量生産まで、どう考えても半年はかかるといわれていますし、このコロナウィルスはインフルエンザと違い、気温や湿度が上がっても感染力が衰えないのではないかと言われております。そうなるとまだ想定ですが、少なくとも半年はこのウィルスに有効的な治療法がない状態で向き合わなければいけないのです。

 そこで「忍耐」です。半年間、全員が家から全くでない、というわけにはいきません。重症化リスクの高い方であれば治療法ができるまでは感染リスクの高いところを避けつつ生活を送ることが必要かと思います。逆に、リスクの低い方は集団感染など、医療崩壊を招くようなことは避けつつ、感染するリスクも承知の上で普段の仕事や生活を行っていく形が最善だと思います。  思えば感染症は近年もSERSやMERSが流行り、現代でも根絶できていない昔からの問題だと思います。ただ、その度に混乱や悲しいことも起こりましたが耐え忍び、「はしか」などに代表されるように予防接種や治療薬などの「より良い結果」に繋げてきたのだと思います。いづれ、今回のウィルスが「一度はかかる風邪みたいなもの」と言えるようになる日まで、正しく耐え忍び、乗り越えられればと思っています。

 最後に、忍耐の精神をよく表していると私が思う一文を紹介したいと思います。それは人によっては悲しい記憶かもしれませんが、昭和天皇の玉音放送の一部です。  「(前略)耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平(平和な世の中)を開かんと欲す」  敗戦や多大な戦争の犠牲という苦難から、先の平和に繋げるために耐え忍ぶ。まさに先を見据えた「忍耐」を象徴するような言葉だと思っています。これは今までも、これからも必要な姿勢だと思います。  仏教では、この生老病死という悩み苦しみがなくならない、人の想いがままならない世の中では、時にそういった「忍耐」が必要で、その上で前を見据えた「智恵」や「精進」が必要だと説かれています。個人的には、現実的・悲観的で、その上で前向きな姿勢を保つ、とても生きていくのに参考になる教えだと思っています。



2020.01.01 新年
中村 哲(なかむら てつ)医師を偲んで

本来はお正月ですし、明るい話題や毎年皆様にお配りしている暦の話をしたいと考えていたのですが、昨年末に中村哲医師が銃撃され、死亡したというニュースが大きく取り上げられました。私は不勉強なことにお名前だけは存じ上げていたのですが、具体的にどのような活動をされている方は分かっておりませんでした。ただ、一連のニュースをみてその功績を紹介され、とても惜しい方が亡くなられてしまったのだなと思い、今回のお話に変更致しました。

 ご存じの方もいると思いますが、一応その活躍を振り返らさせて頂きます。中村医師は九州で生まれ育ち、国内病院に勤務した後、38歳の時にパキスタンのペシャワールに派遣され、長年ハンセン病を中心とする医療活動にパキスタン・アフガニスタンで従事されたそうです。ここまででも十分に凄いのですが、勲章を授与されるなど、皆様に広く知られたのはここからの活動でした。  西暦2000年、パキスタン政府からの圧力を受けて活動が困難になると、ここからはアフガニスタンに拠点を移して活動を継続します。ただその頃、アフガニスタンも決して安全ではなく、政権や国名が頻繁に変わるような不安定な情勢だったそうです。さらに1970年代から徐々に悪化していた干ばつが一気に深刻化して、水不足による衛生環境の悪化でコレラや赤痢による死者が急増します。それを受けて中村医師達の医療事業団は並行して水源確保事業を始めたのです。その後、井戸1600本や多数の用水路などの水源を確保し、多くの人を救いました。なお2001年には貿易センタービルのテロが起きた為、米軍の大規模空爆などもあったそうですが、拠点を移しながら活動は継続したそうです。

 そして2002年には「緑の大地・5ヶ年計画」として農業復興事業に着手されます。砂漠に水路を引き、農地を開拓していきます。時には大洪水にも見舞われたそうですが、護岸工事などの治水事業も並行して行い、耐えたそうです。これらを現地の方々と各村ごとの自治会や長老会と調整・協力しながら行ったというのですから裏方の作業も膨大なものになったでしょう。さらにアフガニスタンや日本政府とも協力関係を築き、農業計画の大規模化や今までのノウハウを継ぐ人材を育てる訓練所を建てるなど人材育成事業にも力を入れていたそうです。  さて、ここまで振り返ってみましたが、中村医師を中心とした医療事業団は全く畑違いと思われる多くの事業を並行して行ってきたことが分かると思います。そしてそれがとても必要で、大変なことだったからこそ、多くの方の賛同を得て、その死を多くの方が悼んだのだと思います。なぜ彼はここまでのことができたのでしょうか。

中村医師は代表を務める会の会報81号で2004年にイーハトーブ賞(宮沢賢治学会主催)を受賞した際にコメントを寄せています。概略を紹介させて頂きます。  『「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。(中略)自分がいなくなったら目の前で苦しんでいる人々はどうなるのか、そう考えるとどうしても去ることができないのです。(中略)賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が即ち私たちの人生そのものである。』

 この話の中で出てくる「セロ弾きのゴーシュ」とはゴーシュという人物がセロ(チェロ)を練習したいと思っている時に様々な動物たちが訪れては演奏を依頼されてしまい、練習ができないのです。ただ、その依頼を受けることで様々な発見や成長を得て、結果として上達する、という話です。中村医師としては医療を中心に活動する予定だったのに、様々な人を助ける為に畑違いの事業にまで手を出して人生を生き抜いてきた、という意味で自分と重なることが多いと述べたのだと思います。  仏教にも「諸法無我」という言葉があります。これは全ての物事(諸法)には絶対的な「我」というものは無く、すべては繋がりの中で変化している、という意味です。端的に言ってしまえば自分だけで決められることなんて何もない、ということです。例えば昔は職業として良くいた「ガリ版職人」さんもコピー機が普及してからはいなくなってしまいました。また、自分の命すらも自分が作り出したわけではなく、先祖が命を繋いできた結果です。そのように自分だけの物事なんてないからこそ、周囲から受けた影響や要望に合わせて、職業や生き方さえも変えていく。だからこそ仏教では「正見」のように偏見に囚われず、周囲の物事を正しく見ることが大切だと伝えられ、自分だけでなく周囲の方々も大切にしなさいと伝えられるのです。

 中村医師も、「医療」という枠に囚われず、今この場にいる人たちを救うには何が必要かを考えた結果、柔軟に物事を進めていかれた、という意味ではとても仏教の理念にも合致した生き方をされた方だなと思います。必要だからこそ、彼の遺した事業は死後一月も経たない内に再開されています。かの宮沢賢治も法華経を中心とした熱心な仏教者で作品にもその影響が多く見られる方だと伝えられていますが、多くの人を救ったり、影響を与える方というのは自然と仏教的理想を体現していることが多いです。改めて一仏教者として、多くのことを示して下さった中村哲医師に感謝と哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈り致します。


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