住職法話 2018年(平成30年)

2018 住職法話

2018.05.01 
通夜・葬儀・49日・回忌法要

法要の意味合いに関して、通夜葬儀の限られた時間内では全てをご説明することが難しいです。その為、文書にて当寺院の法要に対する考えを書かせて頂ければと思います。まず、良く混同されますが「告別式」と「葬儀」の違いから説明致します。

「告別式」・・・宗教儀式や供養ではない。あくまで近親者の「別れの会」

「葬儀」 ・・・供養の意味を込めた宗教儀式である「葬送儀礼」。 だからこそ、当寺院では告別式のみ、というのは「別れの会」であり無供養だと思っています。仏教では「枕経」「納棺」「通夜」「葬儀」など、故人を無事に仏の世界に見送る為に複数の供養の法要を行います。

「枕経」・・・故人に対して最初に行う供養の儀式。死後の旅への旅立ちに際し、悪い者が寄らないようにまず亡くなった方にお経をあげる。当寺院ではこの時、故人の生前の行いを振り返る「引導文」と「法名(戒名)」を遺族と共に作成する。(※遺体状況や日程、葬儀社都合などで読経に関してはやむを得ず省略する場合があります。)

「納棺」・・・現在は葬儀社が行う。死装束・死化粧・守り刀等を備え、守り刀は枕経と同様に悪い者が寄らないように。死装束などは死後の旅へと向かう巡礼の衣とされ、49日間の旅を無事に抜けられるように、罪障を量る御裁きが無事に終わりますようにという供養の想いを込めて清らかな衣や草履等をはかせる。

「通夜」・・・医療が未発達の時代、故人の死に確信が持てなかった家族が夜通し故人を見守り、起きることを祈りつつ、故人を皆で振り返ったことが始まり。 現在では故人を振り返ることや仕事終わりの夜に参加できる弔問者を迎える為に行う。

「葬儀」・・・通夜で振り返った故人に感謝の想いを伝え、これからは生きている我々がその後を引き継ぐことを伝える。だからこそ、安心して死後の旅へと向ってくださいと故人を見送り、生前の行いを示した「引導文」を読み上げ、「法名」を授ける。これは49日間の死後の旅の中で7日ごと7回生前の行いを審判される御裁きを受けて、その結果が良ければ成仏、仏の世界へといけるという仏教の教えに則ったもの。「引導文」や「法名」はその御裁きが少しでもうまくいくように故人が仏教において守られ、見送られたと証明するものでもある。

「繰上げの初七日供養」・・・故人を見送ったのち、本来は、亡くなって7日後に行われる初めての死後の御裁きが、上手くいきますようにと願うもの。現代では日程的に葬儀と同時に行うことが多い。また、本来は2~6回目の御裁きの際もお寺にて供養する地域もある。故人宅に7日ごとに手を合わせに拝みにいくのもこの法要から来ています。

「四十九日」・・・最後の7回目の御裁きを無事に終えて仏に成られることを願う法事です。だからこそ、亡くなってから49日が経つ前に行います。当山では49日が明けると故人が成仏されることもあって喪明けとしています。

「1周忌(二回忌)」・・・1周忌は供養の中でもとても大事で、必ず行って下さいとお願いしています。故人が亡くなってから一年、四季折々を通じて故人の存在や有難みを実感するのがこの時なのです。その為、一番感謝や供養の心を持っている時期です。その気持ちこそが今後の回忌法要の原点になります。

「回忌法要」・・・実は葬儀が一回忌であり、1周忌が二回忌です。これは数え方が「数え年」と同様に独特で亡くなった年を「1」と数える為、実質的には無くなってから2年で3回忌となります。そしてこの後は「7、13、17、23、27・・・」というように末尾に「3」と「7」がつく年に行う形になります。これは10年間で2回、大きな供養として行うのを目安としているからです。意味合いとしては故人への想い、要は1周忌の時に感じた感謝や供養の心を忘れずに思い起こし、故人に伝えることです。

ここまでが供養の種類とその概要になります。細かいものは省いておりますし、宗派や寺院によって多少考えの違いがありますのでそこは御承知おきください。  ただ、ぜひ分かって頂きたいことは通夜葬儀を含めて法要儀式というものは世間のマナーではない、ということです。これらはあくまで「仏教」というお釈迦様が説いた教えの中で説かれた良い生き方や死生観といったものからどのように見送れば良いか、ということからきている仏教の法要であり、そこには意味合いと供養の気持ちがこもっております。

通夜・葬儀に際し、参列者の皆様にもこの意味合いを理解し、故人を供養する気持ちを持って、この見送りの法要で故人に伝えて頂ければと思います。



2018.0501 鬼子母神大祭
四諦(したい)八正道(はっしょうどう)

今回は一冊の本を少しご紹介したいと思います。それは吉野源三郎著、『君たちはどういきるか』という近年のベストセラーにもなった本です。今本屋さんに行けば確実に売っているでしょう。この後は多少のネタバラシがございます。もし私のようにそういうものが嫌いなかたは本を読んでからこの後の文章をお読みください。・・・よろしいでしょうか。この本、漫画版と小説版があるのですが、私は読みやすいと評判の漫画版を買いました。確かに読みやすくはありますが、他の漫画とは違い、一部は小説のように文章のみの構成になっており、文章量の多い一冊になっています。しかもその内容は大人ですらとても考えさせられることばかりでした。特に仏教を学ぶ者の目からみて、内容が非常に仏教的でした。仏教の教えである「四諦八正道」といったものを物語にしたら、これに近いものになるのではないかと思ったのです。「八正道」に関しては今年のお正月で触れました。正しい見方や考え方、言葉・行い・生活・努力・気づき・心が大切です、という教えです。ただ、この八正道、正確には上記の「四諦八正道」という言葉に含まれ、「四諦」という教えの一部になります。では「四諦」とはなんでしょう。これは仏教が、この世界は苦しみ(思い通りにならない「ままならいこと」で悩み苦しむこと)で満ちていると説かれ、その悩み・苦しみから抜け出すにはどうすれば良いかを説いた教えです。ちなみにこの「諦」という漢字、今でこそ「あきらめる」という意味合いが強いですが、本来は「あきらか」、つまりは「真実を見る」といった漢字でした。

①苦諦・・・この世は苦に満ちていることに気付くこと。代表的なものは生老病死といった言葉があるように、生きる・老いる・病になる・死ぬ、ということがいづれも「ままならない」ことで悩み苦しむこと。

②集諦・・・それらの「ままならないこと」で悩み苦しむには何かしらの原因、すなわち、我々の欲望や願望、こうしたい、こうなれば良いのにという心にこそ原因があることに気付く。

③滅諦・・・この世の苦は現実と「我々の欲望や願望」のズレによりを起きている。それを無くせば苦しみもなくなるということに気付く。

④道諦・・・そのズレをなくす方法として上記の「八正道」と呼ばれる、正しい見方や正しい考え方が必要。  このような仏教の教えをこの本には「約束を破ってしまった少年」として表現していました。本には、友人との約束を破ってしまったことに苦悩する少年が描かれています。ここでは「苦悩する」という「苦諦」が表されています。同時に、なぜそこまで苦悩するのかということに関して「正しい道に従って歩いてゆく力があるから」と表現しています。すなわち、「約束を守りたかった、または約束を守れた」という自分の願望と約束を破ってしまった現実との自分のズレがあるからこそ悩むのだと。これが「集諦」です。

 そしてその悩みこそが我々に必要なのだと説いています。苦しむからこそ、逆に自分の理想とする姿が見えてくる。本来、どうすべきなのかが分かると。これは「道諦」である八正道の正しい考え方や気づきにあたると思います。そして、これらの教えを受けた少年は悩みから抜け出し、正しい努力を行い、悩み苦しみから抜け出すのです。これは「滅諦」に当たります。

このような事こそが、仏教の本質であり、伝えていくべきことだと私も思います。それを分かりやすい形で書き記した著者、吉野源三郎さん、また漫画の作者である羽賀翔一さんには誠に感謝・尊敬の念を抱きます。  今回、このようなお話をしたのは私の御祈祷に関する考え方にもこの考え方が適用されると思うからです。私は御祈祷とは仏教の教えを理解し、それを守ることによって御守護を受けることだと思っています。皆様のお札に別紙に説明したように私なりの言葉を書いているのもそれが理由です。叶えるために道諦のように正しい見方や考え方、行動が必要だと思っています。そしてその為には悩み苦しみも必要です。なぜならそれこそが正しい見方や考え方に繋がるからです。本にとても分かりやすいたとえ話があったのでそれを抜粋したいと思います。

『健康で、からだになんの故障も感じなければ、僕たちは、心臓とか胃とか腸とか、いろいろな内臓がからだの中にあって、平生(へいぜい)大事な役割を務めていてくれるのに、それをほとんど忘れて暮らしている。ところが、からだに故障ができて、動悸がはげしくなるとか、おなかが痛み出すとかするとはじめて僕たちは自分の内臓のことを考え、からだに故障のできたことを知る。』  確かに悩み苦しみにより今まで忘れていたものが見えることがあるように思います。

 例えば今回新たに追加した「心願成就」に書いてある「泥中蓮華 無泥不咲」。これはお彼岸でも紹介した仏教の花である蓮は汚い泥の中にあってなお、泥にまみれず、綺麗な華を咲かせる。しかし泥が無ければ蓮は咲けない、という言葉を表したものです。現実と理想の自分が違っているズレに悩み、苦しんでいたとしてもその悩み苦しみがあるからこそ、その理想に向かって何が足りないのかが見えてきます。  例えば勉強ができるようになりたいと願い、現実は勉強ができなければ、理想に追いつくために正しい努力や考え方が必要です。

 また例えば若く元気に生きたい、という願いがあったとしても最初にお伝えした生老病死のようにままならないことというのは数多くあるわけです。自分の年齢と理想とする年齢差が大きければ大きいほど、体が思うように動かない、節々の痛みなどに悩まされるなどの苛立ちも強くなると思います。そして、余りにも大きなズレはどんなに願っても、どんなに努力しても埋められないことがあると思います。その時は正しい見方や気づき、そして心によって「諦める」ということが必要です。それは現実に沿って理想を修正し、苛立ちなどの悩みを無くす四諦の一つだと思っています。  どちらにしてもそのズレをまずは受け入れ、理解し、無くそうとすることが生き方としてとても大事だと思いますし、神仏や他人に頼む以上、自分は何もしません、というのはいけないと思っています。

 最後に今回は本の中でなるほど、と思った言葉を抜粋してご紹介したいと思います。 『僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることができる。人間が本来、人間同志調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。お互いに愛し合い、お互いに好意をつくしあって生きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。(中略)僕たちは、自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲み出してこなければいけないんだよ。』


2018.03.18 春彼岸
六波羅蜜の「布施」について

お彼岸は仏道精進に適した時期であり、その修行として六波羅蜜というものを以前にあげさせて頂きました。それを今年のお彼岸からは順番に解説していこうと思います。ただ、その前に大前提がございます。そもそも六波羅蜜の先にある「仏教」の目的は「皆共に仏道を成(じょう)ぜん」=「皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)」です。この「皆共に」が大切なところです。そもそも仏教はお釈迦様が皆様を救うためにこの世に出現されたと説かれており、一部の人だけが救われる、また自分だけ救われる、というのは不完全なものだと説明されます。確かに、自分だけ悟ったとしても周囲の人間、例えば家族・友人などが苦しんでいれば我々も苦しむでしょう。では、家族や友人も救えればと思いますが、その家族や友人にもさらに家族や友人がいます。そうなってくると確かに皆共に救われなければ完全ではないと思います。これを念頭においてこれからの解説をお読みください。

 まずは六波羅蜜の一番目「布施」についてです。布施、というものは私も皆様がどんなイメージを持っているか知りたかった為、護寺会に参加して下さった方に聞いてみました。その結果は「布施=お金」というものでした。確かに間違いではないですがそうなった経緯を皆様ご存じでしょうか。ここで「布施」の前に「お金」の話をしてみたいと思います。「お金」は「代金・賃金・料金」など複数の種類があります。

〇代金・・・形あるモノの代わりに支払うお金。飲食代、書籍代

〇賃金・・・人を賃い(雇い)何かをしてもらうお金。運賃、工賃

〇料金・・・重さなどを料り(量り)、一定に決められたお金。郵送料、入場料

「布施」はこれらには入らず、皆がお寺やお坊さんを通じて仏教に触れ、救われるようにと願う「施し」なのです。お寺がよく「お気持ち次第で」と言うのも「施し」は強制されるものではないというのが理由です。(ただ、近年はそれでは不安だ、という方もいるので聞かれれば目安の金額をお伝えしています)  元々お布施は、昔の王様や貴族のような方々は土地や建物、仏像といったものを施しました。例えば農家の方であれば野菜や米などを施しました。また大工さんなどはお寺の修繕などを施しとして請け負いました。それぞれが自分の日々得ているものを施し、お寺やお坊さんを支え、そこから伝わる仏教が人々を支えていたわけです。それが時代が進むにつれて日々の収入をお金で得る人が増えていきました。また、お寺としても今は「宗教法人」としての登録が必要であり、お寺やお坊さんも税金や経費といったお金がかかります。だからこそ、今の時代に「布施」といったらお金が一番施しやすく、お寺としても維持管理に活用しやすいのです。

 ちなみに、今まで語ってきたのは「財施」というものであり、大別して三種類あるといわれる布施の一つです。他の「布施」もご紹介します。

〇法施・・・「法」、仏教を説き広めて人々に施すこと
〇財施・・・上記の布施。自分の持ち物の一部を施すこと
〇無畏施・・人々の畏れを無くし、安心を施すこと
 法施は今、私がこのように記述したり、話をすることやお経をあげて供養することがそうです。ただ、仏教を伝えるのはお坊さんだけが行うものでは無く、皆様も家族や友達に違う言葉や表現でも構わないので伝えていく必要があります。いずれ皆様も仏に成る方々であり、誰かを救った、もしくは誰かを救う方だからです。

無畏施は、相談や行動など幅広い手段で人々を安心させるものです。そして幅広いからこそ、様々な方が施せるものだと思います。布施の中には具体的な例として「無財の七施」というものがあります。

それは
①優しい眼差しで人に接すること 
②優しい顔で人に接すること 
③優しい言葉で人に接すること
④行動で人を助けること 
⑤人に対する優しい心配り 
⑥座席など自分の場所を譲ること 
⑦人が最低限、雨風だけはしのげるようにすること

などが挙げられています。これらは普段すでに行っている方も多いと思います。  今まで紹介したような布施の「修行」、なぜ行うかといえば仏教は理論だけではいけないといわれているからです。例えば「食事と健康」、食事をしっかり栄養バランスをとって毎日規則正しく食べれば健康に繋がる、というのは有名ですがそれを十分に行えている方はどれほどいるでしょうか。自分の好物は甘いものです、という方は糖分過多になることが多いですし、この味は苦手で、ということで特定の食品を避ける方もいるでしょう。同じように仏教でも理論だけの机上の空論ではなく、実際に修行を行うことが重要だといわれております。

 例えば財施は良い事といわれて実際に募金などをやってみると執着との向き合い方を学べます。お金や時間、持ち物、地位や場所など、自分の所有物というのはその方が懸命に行動し、働いたことによる対価です。それはとても大切なものであり、自分を助けてくれるものです。それらを他人に渡すことはいわば自分の一部を差し出すようなものです。大きければ大きいだけ抵抗があるでしょう。しかし、それに執着しすぎ、全く手放さず、自分のことだけを考えていたらどうでしょう。自分のお金は滅多に使わず、他人たかる。部下を道具のようにこき使う。それらは悪縁となって後々、自分に返ってくるはずです。想像してみてください、最終的にもし皆が自分の損得だけ考えて執着する世界であったら、それはひたすらお互いに貪り、弱者を虐げ、全てが敵となり、怒り苦しみが絶えない世界です。それは仏教では貪りの餓鬼道や争いの修羅道の地獄に近い世界だといわれ、既に人の世界ではありません。我々の職場や生活場所などの居場所が人の世らしくあるのは「どこかの誰か」や「以前の誰か」が損得勘定だけでなく、他者への慈悲をもって行動してくれているからこそです。我々が人の世で生きる為にも、いずれは必ず執着を抑制し、自分以外の他者を思いやることが大切になってきます。

 布施をすることで自分がどれだけ自分の所有物に執着しているかを実感し、それを離す時にどうやって執着の気持ちと向き合えば良いかが見えてきます。  また、他の布施、例えば人に教えを説く法施にしても自分の言葉を相手が信じてくれない難しさやまず話を聞いてもらう機会を作るにはどうすれば良いかなど様々な困難があると思います。ただ、これらを体験することは仏道を進む上でどうしても必要なものです。仏教は良く「泥の中の蓮」に例えられます。蓮は汚い泥の中にあってなお、泥にまみれず、綺麗な華を咲かせる。しかし泥が無ければ蓮は咲けない、と。仏教も同じです。やはりこの世の様々な欲や困難を体験しなければそれを基に起こる苦から脱する悟りには至れません。若い頃の苦労は買ってでもしろ、という有名な言葉があるようにこの世で生きていく苦労や困難こそがいくつになっても人を成長させると伝えられています。このような長い文章を書きましたが、既に人生経験豊富な皆様はこの理屈に沿った行動をして自然に仏道精進されている方が多いです。是非、今後も引き続き精進を共に行っていければと思います。


2018.01.01 新年
新年を迎えて

2018年新年法話
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