住職法話 2021年(令和3年)

2021 住職法話

2021.06.12 鬼子母神祭
幸せの素人

最初に一冊の本をご紹介したいと思います。『99. 9%は幸せの素人』という昨年の冬に発行された書籍です。なかなか面白いタイトルに目を惹かれて読んでみました。内容としては、共同著者である前野隆司さんが研究論文などで人が幸福なるためにはどのようなことが必要か、というデータを用意し、それを元にもう一人の共同著者で、多数の著書を書いてきた星渉さんがわかりやすく幸福について述べる、というものでした。面白い理論も多く、一部を要約して書かせて頂くと「ブランドバックなどのモノにお金を使うより、体験にお金を使った方が良い。なぜならモノは時間経過と共に劣化や新しい物が出てくるなどストレスが増えるが、体験は時間が経っても思い出したり、人に話したりと価値が増す」「幸福になるにはポジティブ思考だけでは駄目だ。幸福に影響を与えるネガティブ感情を客観的に観察し抑制することや人生の満足度を高めるために自分を理解していく必要がある」 など、読んでいくとなるほどと思わせる話が色々と載っていました。

その中で、これは凄いと思った研究がありました。ハーバード大学が75年という長期にわたり「人の幸福度に影響を与える要素」を研究した「ハーバードメン研究」です。これはハーバード大の学生268人を対象に、卒業後も健康診断や心理テストを行い、仕事や結婚、老後などの人生を追跡調査したものです。  本に研究の詳細は触れていなかったのでここからは私が調べた内容になります。上記以外にも貧しい家庭の方400人以上の調査や、現在まで研究が続けられ「ハーバード成人発達研究」として引き継がれているそうです。それらの研究目的は「幸福と健康の維持に本当に必要なものは何か」を探ることです。

そして75年にわたる研究の中で4代目の責任者である心理学者のロバート・ウォールディンガー教授は次のように述べたそうです。  「75年間におよぶこの研究が明確に示しているポイントは、良い人間関係が私たちの幸福と健康を高めてくれるということです。これが結論です。最も幸せに過ごして来た人は、人間関係に頼った人々だという事でした。それは家族、友達やコミュニティだったり様々です」  富や名声なども候補だったそうですが、それよりも人間関係だったそうです。

 確かにもし自分だけが幸せと思えても親しい友人や家族などが不幸になればそれに影響を受けて幸せに陰りが見えそうです。そう思えば、周囲の人の幸せが自分の幸せにつながり、温かな人間関係を築けたかどうか大切だとされるのも納得のいく話です。ただ、これは簡単なことではないでしょう。教授も「人間関係は複雑に込み入り、関係をうまく維持していくのは大変な仕事だ」と述べています。

ではどのようにすれば良いのでしょうか。教授は可能性は無限大、とした上で何年も連絡をとっていない親族と連絡をとってみては、という具体例を挙げていました。私としては人間関係を良くするためには仏教を含めた、日本文化に取り込まれてきた思想を参考にすべきだと思っています。なぜなら、仏教を含めた先人の思想というのは75年どころではなく、何千年も人々を支え続けてきた教えだからです。

仏教では人との関係を非常に大切にしています。仏教には「和顔愛語」、優しい笑顔(和顔)で思いやりのある言葉(愛語)をかけることや「貪(むさぼりの心)瞋(いかりの心)痴(迷い惑う)の三毒を捨てよ」など人間関係を含めた多くの心がけが記されています。また、仏教の中でよく説かれる精神が「利他」の精神です。自身の利益のみを追求し、他者を顧みない様を「利己的」と表現しますが、その逆の意味合いを持つ言葉です。その利他をよく表す仏教の言葉があります。「他を利するとは即ち自らを利するなり」仏教は基本的に皆が共に生きて、救われることを目標としています。だからこそ、支えあうことが必要だと説かれます。例えば商売でも、お客さんとお店、どちらかが一方的に儲かりもう片方が損をするばかりでは長くは続かないでしょう。閉店して商品が手に入らなくなるなど、結果的には不利益を被るでしょう。やはり適正なお金をお客さんが払い、良い商品をお店が渡すことでお互いに利があるようにするのが最善なのです。昔の商売人の方はそれを知っていました。例えば近代日本経済の父と言われる渋沢栄一の残した言葉にこんなものがあります。「利他の観念なき者がいかに富を積んでも、国が富んだとは言われない。」少々、スケールは大きいですが、言っている言葉自体は仏教にも先ほどのハーバードメン研究にも通じるものだと思います。

我々が今の人格・知識をもって歩む人生は一度だけです。絶対の正解など誰も知らず、皆が手探りで進むはずです。そういった意味では我々は幸せの素人、人生の素人でしょう。そんな中、仏教を含めた先人の智慧を参考にすることがより良く生きる上で大切だと思っています。ぜひ、何かしら迷ったときは仏教を含めた先人の智慧、探してみてはどうでしょうか。


2021.03.19 春彼岸
六波羅蜜の「精進」について

お彼岸は仏道精進に適した時期であり、その修行として六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)というものをあげさせて頂きました。去年はその一つ、「忍辱」に関して書かせて頂きましたが今年は「精進」の解説をしていこうと思います。「精進」とは辞書を引いた場合「励むこと」「一心に修行すること」という言葉が出てきます。では「修行」とは何かと一般の辞書を引くと「仏教などにおける精神鍛錬」としか出てこず、さらに「宗教的なもの」と括ってしまうことが多いように思います。そういわれると少し日常生活からは縁遠い、「滝行」や「瞑想」などをイメージする方も多いのではないでしょうか。

確かにそれらも一つの精進ですが狭義の意味でしかありません。広義では「善いことをする」や「怠けない、励むこと」だといわれています。  そもそも精進の対義語が「懈怠(怠けること)」だとされています。我々の日常は悩み苦しみに溢れているとするのが仏教の考え方です。そんな世の中で、「怠けない」というのはなかなか難しいことだと思います。

丁度、今年で発生から十年になる東日本大震災。あの恐ろしい自然災害の中で発生した原発事故は「事故は自然災害ではなく明らかに人災」と後の国会調査報告では述べられています。理由としては、地震・津波などへの備えが不足していることを把握していながら工事をしていなかったことや東電などから圧力をかけられた監視団体の機能不全などが挙げられ、人々のおごりや怠慢により事故が起きたと指摘されたのです。そして調査会の委員長である黒川さんは報告書に次のように書かれています。 「今回の事故の原因は、日本の社会構造を受容してきた私たちの「思いこみ(マインドセット)」の中にあったのかもしれない。現実から目を背けることなく、私たち一人一人が生まれ変わる時を迎えている、未来を創る子供たちのためにも、謙虚に、新たな日本へと。」仏教者として確かにと思わされる言葉です。ただ人任せに流されるだけではなく、しっかりと現実と向き合う、これも一つの精進の形だと思います。「精進」とは日常を送る中で怠けることなく、正しく現実と向き合い、善くなるように励むことだと私は思います。何故なら上記の原発事故もそうですが、人の想いがままならず、様々悩み苦しみがあるこの世で懸命に生きていくことは、多くの精進や忍耐が必要です。自然と今まで皆様にお伝えしたような仏教の理念や道理に即した修行になっていくからです。

感染が収まらず、昨年に引き続きコロナウィルスの話を例えにすることは非常に残念ですが、今皆様が一番理解しやすく身近な例えはこれだと思います。  昨年のお彼岸ではコロナ禍で忍辱(忍耐)が求められるという話をしましたが、他にも必要とされるものが多かったと思います。例えばリモートワーク、在宅勤務などをされたご家族の方も多かったのではないでしょうか。またお孫さんなどになかなか会えないということでテレビ電話や写真などスマホの使い方を覚えたという方もいたと思います。これは仏教的にもこの変化の激しい「諸行無常」の世の中で必要とされる「柔軟」(もとは仏教用語)であり、とても大切だと説かれる「善いことです」。

また、コロナ感染が深刻になる中で感染者や医療関係者に対する偏見、緊急事態宣言中には政府や飲食店などの一部の人に対する誹謗中傷もありました。それを受けて嫌な雰囲気が蔓延してくると今度は過度の非難・批判は避け、むしろ苦労されている方々を応援しましょうという呼びかけに至りました。仏教的に見ても誹謗中傷などは「悪口」(もとは仏教用語)とされ、行うことで悪い結果に繋がる「十悪」の一つです。また応援は「愛語」として推奨されている「善いこと」です。

このように見ていくと皆様が今頑張っていること、ほぼ仏教で善いとされる行動、精進に繋がっていると思います。コロナ禍で色々混乱した状況も続きますが、様々な状況が見えてきた今、「智恵」をもって判断し、善いことを積み重ねることがこのコロナを乗り越える一つのカギだと思います。

最後に熱心な仏教信者であった宮沢賢治さんの言葉を紹介したいと思います。皆様も宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」という作品はご存知かと思いますが意外と冒頭と最後以外の文章を忘れがちです。その一部だけ引用してみたいと思います。「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい」この部分はまさに善いことをする、精進というべき内容です。そもそもこの「雨ニモマケズ」の文章はその末尾の部分に「南無妙法蓮華経」というお題目やうちのお堂でもお祀りしているお釈迦様や四菩薩のお名前が書かれていたそうで、宮沢賢治さんが思い描く仏教が目指す人間像を書かれたものではないかと言われております。教科書にもこの作品が紹介されていたように日本の文化や教育にも仏教の「善」や「精進」という考え方は多くの影響を与えています。そういった風土で育った皆様が励めば自然と「精進」に通ずるというのが私の考えです。仏道精進の期間と言われるお彼岸、どうぞ今まで同様に精進しながらお過ごし頂ければと思います。


2021.01.01 新年
暦とは何か(年月日のお話)

コロナが流行している昨今ですが、余り暗い話ばかりしてもよくないので今年はあえて昨年書く予定だった暦の話をしようかと思います。  まず暦とは何でしょうか。辞典など調べても主に2通りだと思います。
①時の流れを記載したもの。年月日を定める方法の仕組み
②祝日や月齢、行事、吉凶などの暦注
どちらも見たことはあるかと思います。  ただ、②に関してはだいぶ記載する暦が減ったように思います。皆様も祝日や六曜あたりは見たことがあると思いますが、吉凶や月齢などみたことがない人も多いのではないでしょうか。お寺でお正月に皆様へ配布している暦『日蓮宗御寳暦』は日蓮宗固有のものではなく、昔の暦に書いてあったような暦注を記載したものです。「12直」や「六曜」、「28宿」など吉凶について書かれたものがありました。私個人としては使わなくても全く構わないと思いますが、もし使う場合は様々な見方がある中でこれら全ての吉凶に縛られる必要はないと覚えておいてください。それぞれ別々の見方をしたものなので一番自分に合うものを目安にして下さい。

 どちらかというと今回、話のメインにしたいと思っていたのは①の年月日を定める仕組みです。例えば皆様は日本が今の暦にした時期やそれ以前にどういった暦を使っていたかご存知でしょうか。時期としては明治の頃に諸外国に合わせる為に太陽暦に変えました。それまでは中国歴や和暦など複数ありますが、一月は月の満ち欠けによって29日周期でした。月初めの日を「ついたち」と読みますが、「月立ち」が変化したものだといわれております。大晦日も「月隠り」からの言葉です。ただ確かに月だけですと徐々に暦がずれていきます。そこで季節を見ながら「うるう日」などを追加し調整していました。

季節に関しては太陽の高さなどを計測して一年を24等分しました。これが立春や立冬に代表されるような「24節気」です。ある意味、旧暦は月と太陽、どちらの影響もちゃんと見て判断しているので現在の太陽暦より季節に関しては優れているといわれております。現在と旧暦はおよそ一か月ちょっとずれているといわれていますが、例えば一月に迎えるお正月、「迎春」ともいいますが、寒さが厳しくなる時期であり全く春の気配を感じませんよね。しかし、本来の旧暦でお正月は一か月ちょっとずれた二月であり、梅が咲き始める時期です。確かに春を感じるでしょう。また、七夕なども本来は梅雨時ではなく、八月の梅雨が明けた時期だそうです。

そんな旧暦ですが、昔は時間や年月日などを十干と十二支で表す干支暦を使用することもありました。例えば時間は十二支で二時間ずつ表し、最初の「子の刻」は23時~翌1時を表していました。そして「午の刻」が11時~13時を表していたために12時は「正午」といいます。年月日に関してはもう少し複雑です。
〇十干 (甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸)
〇十二支(子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 )
この二つがそれぞれ一つずつ進み、組み合わさっていきます。下記の形です。
1.甲子2.乙丑・・10.癸酉11.甲戌12.乙亥13.丙子・・59.壬戌60.癸亥、1.甲子・・ お判りでしょうか、10個と12個の組み合わせなので徐々に組み合わせが変わります。ただ、それぞれ60進むと最初の「甲子」に戻ります。これは主に年を表すのに使われており、例えば『日本書紀』などにも「○○の年に」という記載があるそうです。年号などの変更がなく、機械的に数えていくので西暦が使用される以前の東アジア圏では広く使われていたそうです。例えば我々が歴史で習った「壬申の乱」「戊辰戦争」などはこの干支暦を使用して命名されています。昔の人にとってはこの干支暦というのは特別で、例えば日にちも60日周期で考え、中でもこの日は良い・悪いなど様々な民間伝承が生まれたようです。年も60年で一区切りと考えられ、それが一番よく表されているのが皆様が60歳のお祝いに使う言葉「還暦」です。

今年の丑年は干支暦でいうと「辛丑」、60種類の干支の38番目になります。例えば最近の1番目、「甲子」は1984年になりますが、その人は数えで38歳、60年周期のうち38年間を経験したわけです。そして23年後の2044年、また「甲子」がやってきて数えで61歳、還暦を迎えます。まさに言葉の通り「暦」が「還る」わけですね。現在は満年齢で60歳の時にお祝いすることが多いようですが、どちらにしろ60年周期で表現される暦すべてを体験したわけですから、めでたいことです。

確かに60年あれば人生経験としても若者がお年寄りになり、お子さんや孫などの家族が増えるという方も多いでしょう。また、例えば昨今のコロナに代表されるような病気の流行や紛争など、起きる場所は様々ですが60年のうちにはどこかでおきているでしょう。バブルなどの経済も10年ごとに循環しているともいわれます。地震や天災など人とは関係ない地球規模の営みはもっと数百年ごとでしょうが、人の営みとして考えた時に60年あれば大抵のことは経験するのではないでしょうか。そう考えるとコロナの大流行、これも60年のうちの1、2年に過ぎないと思いますし、何度も乗り越えられてきた疫病の一つとも考えられます。  今年もしばらくは厳しい時期が続きそうです。しかし、だからこそ皆様と共にこの年初めに良い年になって、乗り越えられるようにと願いたいと思います。


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