住職挨拶
初めまして、速水壽慶(はやみじゅけい)と申します。瑞法光寺の由来などは別途ページがございますのでそちらを御覧頂きたいと思います。(■寺院概要)ここでぜひ皆様にお伝えしたいのは「仏教」は「魔法の呪文」ではないです、ということです。よく私が同世代の知人、友人に言われるのは「仏教ってお葬式とかで唱える魔法の呪文でしょ?」という言葉です。 でもそのたびに「仏教は字の如く、『仏様』の『教え』で、決して唱えればたちまち奇跡が起こるような魔法の呪文ではないよ」と伝えています。
最近は確かに通夜葬儀でしか仏教に触れる機会がないのでそう思われるのも仕方の無いことかもしれません。ただ、良く昔から言われている「諸行無常」や「因果応報」などの言葉は仏教由来のものですし、「覚悟」「愚痴」などの言葉もそうです。 要はもう皆様の生活や習慣の一部に溶け込んでいる当たり前のもの、それが仏教であり、当山がお祀りしている教えです。
日常の延長にある仏教
私が目指すのは上記でお書きした通り、皆様の生活や習慣に溶け込んでいて気づかれていない仏教というものを改めて皆様にお伝えしていく、というお寺です。 その為、お寺の敷居は低く、皆様に気軽に来てくださいとお伝えしています。 何せ私がお伝えできるのは、「厳重な注意を払って聞かなくてはいけない特別な魔法の呪文」ではなく、皆様の日常の延長にある仏教という教えだからです。
仏教は通夜葬儀の時しかいらない、それはもったいない考えだと思います。 仏教では「この世は苦に満ちている」と説かれており、それに対してどのようにすれば良いかと説かれた言葉が沢山あります。 仏教というものがいつ頃説かれたか、というのは諸説ありますが、少なくとも紀元前にはあったとされるので少なくとも二千年、日本に伝わってからも千五百年程は受け継がれてきた教えです。 何故、それだけの間受け継がれてきたのか、それは必要だったからだと思っています。